ゆっくりと重たい目蓋を開く。
ここ最近、碌に眠っていなかった所為か覚醒までに時間がかかる。
意識は朦朧とし、身体全体にくるダルさ。ズキズキと痛む頭。最悪の、朝だった。

重たい身体を起こす。冬の朝は肌寒く、カーディガンを羽織る。
部屋はまだ薄暗かった。時計を見るとまだ6時にもなっていない為、薄暗いのも仕方ない。
太陽も昇っていないのだ。まだ多くの人が夢を見ている時間帯だ。起きるのが早過ぎる。
身体はや脳はまだ休息を求め睡眠を要求するが、私は二度寝する気にはなれなかった。

「………12月24日――クリスマス・イヴ、ね」

携帯電話の液晶画面の日付はそう示されている。
イエス=キリストの聖誕祭前日。同時に多くのカップルにとって特別な日。
私はこの日が来るのを待ち望んでいた。その反面、この日が来ない事を望んでもいた。

「……あの子、知っていたのね」

思い出すのは、私の誕生日であった20日の事。





『わたくしのクリスマスプレゼントは、姉上様とのデートがいいです』

『デート?』

私は聞き返した。
鞠絵が口にした言葉は予想外で、更に信じられないものだった。
だから信じられず、私は自分の耳を疑い、事実を確かめるように聞き返した。

『えぇ。24日――イヴの日に、わたくしとデートをして下さい』

『………貴女、自分の身体の事判っているの?』

思わず叫びそうになった。
だけど鞠絵の前で騒いだりするのは彼女の弱い身体に障る。
私は叫びそうだった言葉を堪えて、可能な限り落ち着いた口調で尋ねた。

鞠絵は身体がとても弱い。
もう何年も治療の為に入院しているのだが、一向に回復の兆しはない。
様々な治療法や薬を試したが、鞠絵の病気を治すには至っていない。
病状も悪化していき、最近ではベッドから離れられない程身体が弱っている。
更に一月程前に、担当医である葵先生から鞠絵に残された時間の事を聞いた。
鞠絵はもう助からない。刻一刻と、逃れる事の出来ない死が近づいている。

私は絶望した。
今まで鞠絵が回復する事を信じて治療したのに効果がない。
鞠絵が元気になれるのなら、私は自分がどんなに苦労してもいいと思っていた。
いつか鞠絵が無事に退院して、2人っきりの生活がはじまる事だけを夢見ていた。
だけどその夢は砕け散ってしまった。とても大きなショックと絶望と共に。

鞠絵はこの事を知らない。
自分の命が後僅かだという辛い現実を教えたくなかった。
だから私はいつも笑顔で、鞠絵に不安な思いをさせないようにしていた。だけど――

『えぇ。判っています。
 わたくしはもう長くありません。おそらく後数日の命だと思います』

その言葉を聞いて、私は言葉を失った。

『……ど、どうしてそれを』

『一月程前でしょうか。
 わたくし、偶然にも姉上様と葵先生のお話を聞いてしまったのです』

鞠絵に聞かれてしまっていた。
あの時に葵先生達に聞かされた話を。鞠絵に対しての死の宣告を。
それは鞠絵に残された時間が後僅かだという、とても信じられない残酷なものだった。
とても受け入れ難いが為、私は笑顔まで作って自分を偽り隠してきたのだ。
私の笑顔は仮面だ。鞠絵に死期が近い悟られないように、不安な思いをさせないようする為の。
本当なら泣きたいのに、私は無理をしてでも笑顔を鞠絵に見せ続けてきた。
だけど、その努力は意味がなかった。鞠絵は知っているのだから。自分に残された時間を――。

『だ、だったら尚更よッ!
 鞠絵の身体はもう限界なの、時間がないのッ!
 それなのに無理したら、一気に自分の命を縮める事になるのよッ!?』

私は叫んだ。
鞠絵の弱った身体は、もう限界なのだ。
いつ発作が起こるか判らない状況で、言うなれば爆弾と同じだ。
そんな状況にある鞠絵を、この寒い冬の中に連れ出すなんて自殺行為だ。
限られた時間しか残されていない大切な命を、一気に縮める事になる。
最悪の場合、鞠絵の身体が耐え切れず、死んでしまうかもしれない。
そんなのは嫌だった。私は少しでもいいから、長く鞠絵と過ごして生きたかった。
だから、鞠絵のお願いを私は断った。

『……判っています。自分の身体の事ですから、判っています。
 だけどわたくし、このままじっとして死を待つなんて事したくありませんッ!
 わたしに時間が残されていないのなら、その残された時間だけでも自由に生きたいんですッ!
 こんな牢獄みたいな暮らしじゃなくて、姉上様と2人っきりの素敵な想い出を作りたいんですッ!!!』

鞠絵は泣いていた。
ポロポロと涙を流して、その胸に溜めていたものを口にした。

治療の為。
そう言えば仕方ないと思えるが、実際はどうなのだろうか。
鞠絵は幼い頃に病気で倒れ、それ以来ずっと入院していた。
その間、私や親といった家族や小さい頃から遊んでいた友達とは離れて暮らた。
お見舞いだって毎日行ける訳ないから、会えるのも限られた日、限られた時間内。病院からも出られない。
学校も休学な為、やがて時が経つにつれ、同級生だった友達は自分よりも学年が上になる。
更に治療費などの事で親にも見放され、鞠絵と親しい間柄の人は次々と消えていく。
この病院での治療は、鞠絵にとって牢獄に閉じ込められていたのと何ら変わりない。
鞠絵は、入院してから一度も自由に、自分が思い描くように生きていなかったのだ。
そんな鞠絵が自分の死期を悟り、最後に自由を求めて私にお願いをしたのだ。

『……判ったわ、鞠絵。
 私からのクリスマスプレゼントは、デートよ』

そのお願いを断れる訳がなかった。





「我ながら鞠絵には甘いわね」

自嘲気味に呟いて、私はベッドから出た。
冬の寒さに震えながら着替えやお化粧を済ませていく。
今日は私と鞠絵にとって特別な日。私はこの日が来るのを待ち望んでいた。
その反面、今日という日が来て欲しくなかった。ずっとずっと12月23日でいて欲しかった。
太陽が沈み月が昇る。月が沈み太陽が昇る。それによって明日がやってくる。
だけどもしも明日がやって来なければ、鞠絵の残された時間は減らない。
もしも永遠に時の流れが止まれば、鞠絵は死ぬ事がないのだ。

「……永遠か。あるのかなぁ、そんなもの」

全ての身支度を終え、私は家を出た。
3年程前、親と縁を切った時から住みはじめたアパートの一室。
リビングと寝室を兼用する六畳一間。玄関横にあるキッチン。余り広くないお風呂場とトイレ。
アパート自体も少し古いが家賃も安く駅に近い為、私は特に不満なんてなかった。
自分にお金を使うよりも、鞠絵に対してお金を使いたかったから。
だから、家賃が安いこのアパートに不満はなかった。



ただ1つ“鞠絵”と暮らせなかった事意外は。





†     †     †






「おはようございます、姉上様」

「おはよう、鞠絵」

病院に着いた私は鞠絵と挨拶を交わす。
ただし、まだ面会時間ではないので病院内に入れず、窓から入った。
葵先生に頼めば面会時間外でも会う事は出来るのだが、今日はダメだ。
私と鞠絵のデートは先生や看護婦さん達には秘密だ。話せば止められるのは明白だ。

「でも、本当に大丈夫なの?」

「えぇ。この時間は朝のミーティング中なので、大丈夫です」

長い間入院していた為、鞠絵はこの病院のタイムスケジュールを把握していた。
この時間は鞠絵が言ったようにミーティングが行われている。
その為、先生や看護婦さん達はナースステーションにいて、見回りがない。
他の患者さんもまだ病室から出られないので、誰かに見つかる可能性は低いのだ。

「それは判っている。
 私が訊きたいのは鞠絵の事。大丈夫、行けそうなの?」

私が心配したのは鞠絵の身体。
20日以降、私は毎日病院に電話して鞠絵の病状を聞いていた。
勿論、昨日の夜も電話したのだが、葵先生の話では夕方に強い発作や発熱があったらしい。
薬で抑えたものの、まだ油断出来ない状況である事は変わりないのだ。

「……大丈夫です。行けます」

「ホント? もしも辛かったら言ってよ」

「はい。判りました」

だけど、鞠絵は例え辛くても言わないだろう。
私も、例え鞠絵が辛そうにしていても何も言わないだろう。
今日は鞠絵にとって特別な日。入院してからはじめて自由になる日なのだから。

「それじゃあ、行くわよ」

「はい」

私と鞠絵の最初で最後のデートがはじまった。





街はクリスマスムードに包まれていた。
多くのお店はツリーやリース、サンタクロースにトナカイなど人形で飾られていた。
ポケットティッシュを配るアルバイトの人もサンタクロースの格好だ。
どこからともなくクリスマスソングが聴こえ、鮮やかなネオンの光が輝いている。
そんな街の中を多くのカップルが行き交い、2人だけのクリスマス・イヴを楽しんでいる。
勿論、私と鞠絵も、2人だけのデートを楽しんでいた。


私と鞠絵のデートは、普通のカップルがするデートと変わらない。
たくさんのお店を見て周り、何か気になる小物や服があれば立ち止まる。
買うか買わない悩んで、結局高くて断念。他にいい物は、と思いお店の中を回る。
特にブティックに立ち寄る事が多く、私は鞠絵に似合う服をコーディネートした。
だけど鞠絵は恥ずかしそうで「ま、まだ着るんですか〜」なんて言っていた。

ブティックをある程度回ると、ちょっと休憩を兼ねて早めのランチタイム。
私の行き付けであり、オススメのオムライスの専門店に鞠絵を招待した。
このお店はオムライスの種類が多くて味も絶品。オムライス以外のデザートやスープ類もだ。
私はお気に入りのオムライスと飲み物を注文し、鞠絵にも同じものを薦めた。
頼んだ品が並べられ、お喋りしながらの楽しいランチタイム。色々な事を話した。
鞠絵は私が薦めたオムライスを美味しいと言っていたが、半分程残していた。

ランチタイムも終わり、今度は鞠絵が観たがっていた映画へ。
原作の小説は大ベストセラーになったそうで、映画を観に来た人も多かった。
私もテレビのニュースで取り上げられたのを見たし、原作を持っている先輩からも話を聞いていた。
だけど私は、この映画が好きにはなれなかった。面白くないからではない。寧ろ面白い。
ただ内容が、病気に苦しみ亡くなる彼女と、そんな彼女に何も出来なく涙する男性の悲恋の話。
確かに感動的で、ラストシーンは私も鞠絵も泣いていた。先に出てきた多くの人も涙を流していた。
原作である小説がベストセラーになるのも、ドラマ化になるのも判る。
判るけど、この話の主人公である男性と彼女が、私と鞠絵に重なって嫌だった。

映画の後は喫茶店でお茶会。
鞠絵は映画での感動の余韻が残っているらしく、ハンカチで目頭を押さえていた。
私は鞠絵を落ち着かせる為にハーブティとストロベリーパイを注文。
それを、さっき見た映画の話に華を咲かせながら2人で食べる。


私と鞠絵は、今日という日を心の底から楽しんだ。
不安なデート。時折苦しそうにしたり、食欲がない鞠絵の姿を見て心が痛んだ。
だけど鞠絵のお願いを叶える為に、私は敢えて鞠絵を普通の女の子と思い接した。
それを望んでいるのだから、最後に幸せな想い出を作る事を、鞠絵が望んだのだから。





そして、紅い夕日が沈んでいく。
鞠絵との最初で最後のデートが終わりを迎えようとしていた。





「………もう陽が沈むわ。
 残念だけど、そろそろ戻らないといけないわね」

「……そう、ですね」

小さな鞠絵の声。
私は、それがデートが終わる事に対しての悲しみから小さくなったのだと思った。
だから気づかなかった。それが、苦しくて声が小さくなっていた事に。

「姉上様。最後に、街が一望出来る丘の公園に行きたいのですが」

鞠絵がそう言ってお願いしてくる。
幾らデート中は鞠絵の事を普通の女の子と思って接していても、
その身体が病気によって蝕まれ、いつ倒れてもおかしくない、とても危険な状態には変わりない。
鞠絵の身体の事を考えると、そろそろ病院に戻って休んだ方がいい。
今のところ、時折苦しそうにしたり咳き込むぐらいで、強い発作は起こっていない。
だから『まだ大丈夫』と思い、私は鞠絵のお願いを了承した。


私達が住む街には、小高い丘がある。
その丘は街が一望出来、公園もあるのでちょっとしたデートスポットだ。
私が子供の頃は、まだ病気になる前の鞠絵を連れてよく遊びに行った想い出の場所。

陽も沈み、漆黒の闇が空を覆う。
雪は降っていない為、ホワイトクリスマスは期待出来ないが、逆に星や月の光がよく見える。
家の明かりやネオンの光が灯り、街全体が1つのイルミネーションになっている。とても綺麗だ。

「これで雪が降っていたらホント素敵なのにね」

街を一望しながら言う。
北国に住んでいればホワイトクリスマスも期待出来ただろう。
だけど残念ながら私達の住む街は関東方面になる為、それは諦めるしかない。

「だけど充分綺麗です。
 久しぶりにここからの景色が見れて、わたくしは嬉しいです」

「そう? 鞠絵が嬉しいのなら私はそれでいいわ」

確かに雪が降っていないのは、私的には物足りない。
だけど今は鞠絵の為のデート中だ。鞠絵が満足すれば、私はそれでいいのだ。

「………姉上様」

「………うん。何?」

暫くの間、私達はお互いに無言のまま街を眺めていた。
長い沈黙と静寂。いつまで続くか判らなかったそれを、最初に破ったのは鞠絵だった。
鞠絵は街を眺めたままだったので、私も視線を外さず鞠絵の話を黙って聞く。

「今日は、本当にありがとうございました。
 こんなに楽しくて素敵な1日、わたくしはじめてです。
 姉上様にご迷惑をかけたくないと思っていたのに………わたくしの我侭に付き合って貰って」

「いいのよ。私も楽しかったし。
 それに鞠絵は遠慮がちなところがあるから、寧ろ我侭を言って欲しいぐらいよ」

鞠絵は我侭を言わない。
その遠慮がちで、自分より他人を気にかける性格の所為だろう。
周りからも『いい子』と言われるが、逆に自分の意思をあまり伝えようとしない。
それに余り人に頼ろうとせず、自分だけで悩みや問題を抱え込むところもあるから、
私としてはもっと我侭を言って、私を頼って欲しかった。

「わたくしは……本当に幸せです。
 こんなに、わたくしの事を愛して下さる……姉上様の妹に産まれて………」

「私も幸せよ。鞠絵みたいな可愛い娘の姉になれて」

鞠絵を見放した両親。全くお見舞いに行こうとしない。
最初はそんな両親がした酷い仕打ちに怒りを覚え、嫌っていた。
だけど2つだけ、私はあの憎むべき両親に対して感謝している事がある。
それが、私を鞠絵の姉として産んでくれた事と鞠絵を私の妹として産んでくれた事だ。

「姉上様……わたくし、本当に幸せです。
 出来る事なら……この幸せが、いつまでも続いて欲しかった……です」

「……鞠絵? 鞠絵ッ!?」

ドサッという音が聞こえた。
嫌な予感がした。私は恐る恐る鞠絵を見た。
地面に倒れ、とても苦しげに呼吸を乱している鞠絵を。

「鞠絵ッ 大丈夫ッ!?」

私は倒れている鞠絵を抱きかかえた。
鞠絵の身体はとても軽かった。その軽く細い身体は熱を帯び、とても熱かった。
額からは大粒の汗が流れ、焦点が合わない瞳で私の事を見つめ、鞠絵は苦しげに言った。

「……姉上様……わたくし……夢があったんです。
 姉上様と一緒に……暮らしたいっていう……夢が……」

「いいからッ 何も喋らなくていいからッ
 待ってて鞠絵。今、私が病院へ連れて行ってあげるからッ!」

馬鹿だった。私は馬鹿だった。もっと注意深く鞠絵の事を見ていればよかった。
否。あの時、私が帰る事を選択していれば、鞠絵は倒れる事はなかったのかもしれない。
後悔しても遅い。何より、今は一刻も早く鞠絵を病院へ連れて行かないといけない。
私は鞠絵を抱きかかえたまま、病院へ向かおうとした。
だけど、鞠絵は笑顔で私の顔を見つめると、ゆっくりと首を横に振り続きを口にした。

「だけど、その夢は……もう叶う事が………ありません……。
 本当に望む……願いは、決して叶う事のない……ただのユメ、なんです」

「そんな事はないッ
 鞠絵の病気はきっと治るッ 私が方法を見つけるッ!
 だから諦めないで。鞠絵のその夢は私が叶えてあげるからッ!!!」

弱々しい鞠絵の身体を抱きしめて、
その小さな口から出てくる悲しい言葉を打ち消すように、私は叫んだ。
だけどその叫びは意味を成さない。鞠絵の病気を治す方法は―――ない。
既に葵先生が様々な方法を探し試してきた。その結果がこれだ。
もう鞠絵は助からない。鞠絵のその願いは、本人が言う通り叶う事がないのだ。
それは判っている。判っているからこそ、私はそれを否定したかった。

「いいえ。わたくしは……もうダメみたいです」

「そんな事ない……鞠絵はまだ助かる。
 助かるから……私が助けるから。諦めないで……お願い、鞠絵」

涙が止まらない。
溢れ出た涙が瞳を潤ませ、鞠絵の姿をぼやけさせる。
私は、ぐったりとした鞠絵の身体をギュッと抱きしめ、震えた声で言った。
諦めて欲しくなかった。まだ生きる事への希望を捨てて欲しくなかった。
近づいてくる『死』を受け止めないで、最後まで抵抗して欲しかった。
私の言葉を聞いて、私が受け入れてしまった残酷な現実を否定して欲しかった。
だけど、鞠絵はその言葉に耳をかなさい――否。もう鞠絵の耳には届いていない。

「だから……最後に、もう一度だけ………言わせて、下さい………」

そして、鞠絵は小さく擦れた声で言った。










「姉上様、大好きです」








戻る 次へ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送