今、私は病院にいる。鞠絵が入院していた病院にだ。
あの後、鞠絵が意識を失った後、私は気が動転してしまい泣き叫ぶ事しか出来なかった。
鞠絵を温かい場所へ連れて行く事も、救急車を呼ぶ事も出来ず、ただ泣き叫んでいた。
救急車を呼んでくれたのも、たまたまその場に居合わせたカップルだ。
カップルが呼んでくれた救急車に乗り、病院に着いた私を待っていたのは葵先生によるビンタだった。

『一体何をしていたんだッ』

葵先生の怒りに満ちた言葉が耳に残る。
叩かれた頬は痛かった。だけどそれ以上にその言葉がとても痛かった。
確かに何をしていたんだろう、私は。本来なら鞠絵の暴走を止める立場だったはず。
姉として、例え嫌われてでも鞠絵の無茶なお願いを断るべきだった。
それなのに私は鞠絵を連れ出し、更には倒れたにも関わらず何も出来なかった。
本当に、私は何をしていたのだろう。

鞠絵はすぐさま集中治療室に運ばれ治療を受けた。
私は運ばれていく鞠絵を、叩かれた頬を押さえながら呆然と見ていた。


コチコチコチ


静寂に包まれた病院の廊下に、時計の音だけが響く。
鞠絵が集中治療室に運ばれてから、もう数時間が過ぎようとしている。
いつの間にか日付も変わり、12月25日――イエス=キリストの聖誕祭であるクリスマスになっていた。
だけど、今の私には関係ない。例え時間が過ぎようとも、日付が変わろうとも、私は待ち続ける。
鞠絵の手術が終わるまで待ち続け、そして終わるまで鞠絵の無事を祈り続ける。


神様。お願いします、鞠絵を助けて下さい、と――


また時が流れる。
永遠に続くかのように思えた手術。
だけど永遠なんてものは存在しない。全てには『はじまり』があり『終わり』があるのだから。
どんな事にも必ず終わりがある。そう――今行われている鞠絵の手術だって。


不意に『手術中』と書かれたランプの灯が消えた。
それは長い時間行われていた鞠絵の手術が終わった事を意味する。
同時に、手術室の扉が開き、中から青色のオペ服に身を包んだ葵先生が出てきた。

「先生ッ 鞠絵は、鞠絵はどうなったんですかッ!!?」

私は葵先生に縋り付くように尋ねた。
不安だった。もしも鞠絵の身に何かあったら、それは私の責任だ。
鞠絵の無茶なお願いを止めれず、更に倒れた鞠絵に何も出来なかった私の。
失いたくなかった。私の大切な人を、世界で一番大切な可愛い妹――鞠絵を。
すると、葵先生は私の質問には何も答えず、ただ「中へ入りたまえ」としか口にしなかった。
葵先生の言葉に従い、私は恐る恐る集中治療室の中へ入った。

「……まり、え?」

鞠絵はベッドの上に寝かされていた。
一瞬最悪の状況を想像したが、テレビとかで見る心電図は反応していた。
私はほっとした。鞠絵は助かったのだ。葵先生達のおかげで助かったのだ。
そう思い先生達にお礼を言おうとしたが、その前に葵先生から信じられない言葉を聞かされた。

「……最後のお別れをしなさい」

「…………嘘」

誰も、私の呟きを否定してくれなかった。
そして「私達は外で待っているから」と言い残し、先生達は出てった。
残されたのは、ショックのあまり呆然としている私と、横たわる鞠絵の2人だけだった。

「……んっ。あね…うえ、さま……?」

「ま、鞠絵ッ!?」

私の意識を戻したのは、小さく擦れた鞠絵の声だった。
鞠絵は今にも消え去りそうな弱々しい声で、私の事を呼んでいる。
私は鞠絵の傍へ駆け寄り、小さな手をギュッと握り締めた。

「姉上様……本当に、申し訳ありません……。
 いつも迷惑、ばかりかけているのに………最後の最後も……こんなに迷惑をかけてしまって……」

「ぐすっ……いいの。いいのよ、鞠絵。
 私、迷惑だなんて思っていないから。そんな事、気にしなくていいの」

涙を流したまま首を横に振った。
私は迷惑だ何て思った事は一度もない。それどころか鞠絵の面倒が見れた事が嬉しく思える。
鞠絵は私にとってとても大切な存在なのだから。いつまでも護ってあげたい存在なのだから。
私は、鞠絵の為に時間やお金を使う事を迷惑だとか嫌だとか、たった一度も思った事がない。
その事を鞠絵に伝えたいのに、私の口からは上手くその言葉が出なかった。

「……姉上様。
 今まで……こんな、わたくしを愛して下さって……ありがとうございます。
 姉上様がいてくれなかったら……わたくし、自由を手にする事なく…………眠るところでした」

鞠絵の心からのお礼。
私がした事は、結果的に鞠絵を死に追いやってしまった。
例え鞠絵が望む自由を齎す為の行為だとしても、それは許されるものではない。
だけど、鞠絵の口から出た言葉は純粋な感謝の気持ち。私に対してのお礼の言葉。

「ぐすっ…ひっく……鞠絵……」

その言葉を聞いて、私の涙は更に溢れ出た。
すると鞠絵は弱々しく手を伸ばし、私の瞳から溢れ出る涙を指先でそっと拭き取った。

「お願い……です、姉上様。
 泣かないで、下さい。わたくし………姉上様の笑顔が、大好きなんです。
 だから、辛いお願いかもしれませんが………最後は、笑顔で……わたくしを見送って下さい」

鞠絵の最後のお願い。
今まさに命の灯火が消えようとしている鞠絵のお願い。
それは余りに辛く残酷なお願い。愛する人を失おうとしているのに笑顔だなんて。
今まで鞠絵が私にしてきたお願いの中で、最も難しくもあり、最も簡単なお願いだった。
私は、普段から鞠絵に見せてきた笑顔を――鞠絵が大好きと言ってくれた笑顔を必死で思い出す。
笑顔を作るなんて簡単な事だ。だけど今の状況でそれをするのは余りに難しかった。
今まで出来ていた事が出来なくなっていた。どんなに笑顔を作ろうとしても崩れてしまう。
だけど、鞠絵の最後のお願いをどうしても叶えてあげたくて、私は精一杯の笑顔を作る。
それは涙が溢れだしている笑顔。今にも崩れてしまいそうな笑顔だった。

「……ありがとう、ございます……姉上様」

だけど、鞠絵は満足そうに微笑む。
とても綺麗な微笑みを、私に向けてくれた。

「……神様。もしもいるのなら……聞いて下さい。
 こんなわたくしの……最後のお願いを………どうか………」

鞠絵の手を握る私の手に力が篭る。


神様。私からもお願いします。
鞠絵の最後のお願いを叶えてあげて下さい。
今まで神様の存在を信じていなかった私が、こうして祈るなんて都合が良過ぎるのは判っています。
だけど、今はもう神様に祈る事しか私には出来ないんです。私は、とても無力なのだから。

お願いします。
鞠絵のお願いが叶うのなら、私はどんな事だってします。
贅沢な暮らしが出来なくても、自分の夢が叶わなくても、この先どんな不幸が待っていても構いません。
だからお願いします。鞠絵の――私が世界で一番大切な鞠絵の最後のお願いを叶えてあげて下さい。










――神様。










「どうか……生まれ変われても………姉上様の傍に………いさ…せ……て……―――」








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