不意に目が覚めた。
それは全く予想していなかった突然の覚醒。
寝起きだというのに、身体は重くなく、頭は実に冴え全く眠気を感じられない。
ただ、目覚める瞬間まで見ていた夢が、心のどこかで気になっている。
内容なんて全く覚えていない。故に、どうして気になっているのかもわからない。
わかっている事は、その内容も覚えていない夢がただ気になっている事だけなのだ。
暫くぼーっとしていた私は、枕元に置いてある目覚まし時計を見た。
刻まれた時は、いつも起きる時間より1時間は早かった。
勿体無い。そう思いながらも私はベッドから下り、着替えを済ませキッチンに立つ。

私は現在、学校の近くのアパートで独り暮らしをしている。
その理由は両親が事故死しているとかではなく、ただ仕事で海外にいるだけだ。
本当なら娘である私も一緒に行くべきなのだろうが、私は行きたくなかった。
否。正確に言えば、海外へ行く事によって、ある人と離れ離れになるのが嫌だった。
そんな訳で、海外へ行った両親とは離れひとり日本に残った。

勿論、一応私だって年頃の娘なのだから、両親も気がかりはあるだろう。
そこで、母方の叔母である春歌さんが管理しているこのアパートで暮らす事になったのだ。
春歌さん――まだ二十代な為『叔母』という言葉を使うと怒る――はとても優しい人で、
よく夕飯に招待してくれるし、煮物などをお裾分けしてくれる。
ひとり暮らしの私を助けてくれ、自分の家に一緒に住まないかとまで言ってくれるのだ。
ただ、春歌さんのその心遣いは嬉しいのだが、彼女にはまだ小学生になったばかりの娘さんがいる。
名前を雛子と言うのだが、実際に血の繋がりはなく、どうやら複雑な事情があるらしい。
女手ひとつで頑張っている春歌さんにあまり迷惑はかけたくない。
故に、私は彼女の申し出を断ったのだ。それに――――

「…………それに。明かりのついていない部屋にも…………もう慣れた」

元々両親は共働きで、家にいない事も多かった。
それ故、学校が終わり帰宅した時、家に明かりや温もりがないのは慣れている。
別に寂しいと感じる事はないし、既に親の愛情が恋しいような歳でもない。
私位の歳にもなると、まだ半分は子供なのだが、残りの半分はもう大人になっているのだ。
だから、残りの半分を大人にする為の準備だと思えば、ひとり暮らしも大した事はない。
そんな事を考えながら朝食の準備を済ませ、のんびりと朝の一時を過ごす。










『今日のにゃんこは、可憐さん宅のバニラちゃんでした♪』

時計代わりのテレビを眺めながら、今朝の事を考える。
今朝、私は『何か』夢を見ていた。その内容は全く覚えていない。
否。そもそも夢を見ていたのかも曖昧だ。何故なら夢の内容を覚えていないのだから。
だけどあの目覚める瞬間。何か不愉快な――そしてとても悲しい事があった。
目覚めの瞬間はわからなかった、それら2つの感情が、普段より1時間も早い目覚めを引き起こしたのだ。
では、その不愉快かつ悲しい事とは何なのだろうか…………?

「…………はぁ。何を考えているんだろう、私は」

深く考える程、何だか馬鹿らしくなってきた。
別に夢見が悪いなんて事はよくある事。そんなものを気にする方がどうかと思う。
そもそも夢なんてものは、身体が眠っている時に行う脳内の記憶の整理が原因なのだ。
即ち夢とは過去の出来事だ。その中には、私が忘れてしまった嫌な記憶だってある。
そのようなものを無自覚にも思い出すのだ。不愉快にも悲しくもなる。
だから、もう今朝見たであろう夢の内容を考えるのはやめ。
ただ、普段より早く目が覚め、早く起きた1時間分の睡眠時間が勿体無かっただけだ。

「…………まぁ。彼女なら二度寝するだろうね」

そして妹に起され、遅刻ギリギリになるだろう。
長い付き合いになる彼女の行動を思い浮かべ、思わず笑ってしまう。
とはいえ、その光景はある種、彼女が望んでいた事なのかもしれないが。

「…………幸せは、身近な場所にある。
 だけどそれに気づかない人は…………この世界の多く存在する…………」

彼女達姉妹の事を思うと、そんな考えが生まれてくる。

幸せというのは、本当に本人のごく身近に存在している。
ただ、多くの人がそれに気づいていない。それは何故か?
答えは簡単だ。人は欲望に忠実な生き物。巨大な欲の前に、身近にある幸せに気づかないのだ。
人が本当に幸せだと感じられる瞬間。それが、愛しい人と過ごす一時なのだという事に。
私も彼女がいてくれたから、その大切な事に気づいたのだ。


ピーンポーン


物思いに深けていると、インターホンが鳴った。
テレビに表示されている時間を見ると8時を過ぎていた。
もうそんな時間か。のんびりと考え事をしていた為、いつの間にか普段の登校時刻になっていた。
そうなると、今インターホンを鳴らし、扉の向こうにいる人物はひとりしか考えられない。
私はテレビを消し学生カバンを持つと、少しだけ『期待』の二文字を胸に扉を開けた。

「グッモーニング♪ 千影チャマ♪」

「やぁ…………おはよう、四葉くん…………」

扉を開けると同時に、笑顔で私に挨拶をする彼女――四葉。
四葉くんは私が通う学校の後輩。年の割に落ち着きのない、天真爛漫な性格の持ち主。
彼女との付き合いは小学校の頃からで、いつも一緒に遊んだ幼馴染だ。
幼い頃から一緒に過ごした為、私の事を実の姉のように慕い、いつも明るい無垢な笑顔で微笑んでくれる。
そんな私も例え血の繋がりはなくても、四葉くんの事を妹のように可愛がり、とても愛しく想っている。
私にとって四葉くんは大切な存在なのだ。同時に、私が一番幸せを感じる事ができる唯一の存在でもある。

「クフフッ♪ 今日の千影チャマはお寝坊さんじゃないデスね♪」

「おや…………? わかるのかい…………?」

「オフコース! だって四葉、いっつも千影チャマの事チェキしてますから。
 いつものお寝坊さんな千影チャマとの違いなんて、すぐにわかっちゃうの♪」

――と、愛用のデジカメでパシャっと私の事を撮る。
四葉くんは小さい頃から私の傍にいた。それこそ本当の姉妹のように過ごした。
時には共に楽しみ笑い、時には共に悲しみ苦しみ、喧嘩だってした事もある。
彼女は私との思い出を残したい、まだ知らない私の一面を知りたい。
そんな気持ちから、先程のように『チェキ』と称してメモや写真に残している。
勿論、自分のプライベートが他人に知られるのは抵抗があるが、何故か四葉くんならそれが許せる。
やはり幼い頃から一緒に過ごし、妹のように接しているからだろう。若しくは、もっと別な…………。

「フフッ…………成る程…………。
 やはり隠し事はできないね…………小さな名探偵の前では…………」

私は笑みを浮かべ、四葉くんのサラサラとした髪を優しく撫でた。
撫でられている彼女は心地よいのか、幸せそうな表情を見せてくれる。
まるで子犬が主人とスキンシップをしている時のような、無邪気で無防備な表情だ。
その表情がとても可愛らしく、私の心を和ませてくれる。
このままふたりだけの一時を過ごしたいのだが、残念ながら今日は学校がある。
お互いに少々名残惜しいが、心地よい一時をやめ四葉くんと学校へ向かう。










「でもでも、今日はどうして早起きだったんデスか?」

静かな朝の通学路を、四葉くんと一緒に歩いていく。
幼い頃から一緒に過ごしてきた私達。勿論、登下校の時もいつも一緒だ。
その間、彼女は私に様々な筆問をしてくる。私はその質問に嫌な顔などせず答えていく。
四葉くんの質問攻めは、今みたいにふたりっきりの時に行う私達のコミュニケーションの1つなのだ。

「大した理由はないよ…………。ただ…………夢見が悪かっただけさ…………」

今朝見た夢について、私はそう答えた。
その答えに四葉くんは「どんな内容デシタ?」と聞き返してくるが、それ以上の答えが出なかった。
というよりも出せなかったという方が正解だ。正直、夢の内容は全く覚えていないのだから。

「第一、夢の内容なんて…………普通すぐに忘れてしまうだろう…………?」

それはよくある事だ。
楽しい夢や心地よい夢を見ても、その余韻に浸っていられるのは寝起きの数分程度。
時間と共に脳が覚醒し、次第に夢の世界から現の世界へと帰っていく。
一度現の世界へと帰れば、後は慌しい日常がはじまっていく。
そうなれば、夢の内容なんて忘れていく。否。正確には覚えている余裕がないのだろう。
人は日常の中で様々な情報を、ありとあらゆる方法によって集めていく。
その情報量はとても多く、常に脳内によって情報は記憶へと整理整頓される。
そして、あまり必要でない情報は記憶の奥底へと追いやられ、やがて消去される。
余程印象深い夢なら覚えている事もあるだろうが、今朝私が見たであろう夢はそれに該当しない。
何故なら、現に私は全く何も覚えていないのだから。

「チェキぃ〜。確かに四葉もみた夢を忘れちゃいます」

「そうだろ…………? 覚えている方が…………稀なんだ…………」

私はそう言い、この話題に対して終止符を打つ。
正直、今朝見た夢についてあまり話したくなかった。
理由は言うまでもなく、夢の内容が私にとって不愉快かつ悲しいもの…………なのだと思う。
内容は覚えていなくても、私自身がそう感じているのだから間違いはないはず。
誰だって不愉快な話や悲しい話を話題にしたがらないだろう。
四葉くんが相手だから今こうして話をしているが、他人にはまず話したりはしない。

「あ! でもでも、四葉、今朝見た夢のないようはバッチリ覚えていますよ!」

さぁ、次はどんな話題に華を咲かせようか。
そう思った矢先、四葉くんはそのように切り出してきた。
もうこの話題は終わりと思っていたのだが、先程とは違い今度は四葉くんの夢の内容だ。
それには私も興味があるし、何より彼女本人がそれを話したそうに瞳を輝かせている。
私が「どんな夢だい?」と訊ねると、四葉くんはニッコリ微笑んで言った。

「何と何と、千影チャマと一緒にいる夢デシタ♪」

「…………まぁ。いつも一緒にいるからね」

夢は脳内の情報記憶処理だ。
普段から一緒にいる私の事が夢に出てきても、別におかしくはない。
最も、夢というのは見ている本人の願望が強く現れもするケースがある。
現では中々叶わないから、せめて夢の中だけでも、という欲求から生まれる産物。
もしも四葉くんがそういった願望を持っているのなら、私はとても嬉しいのだが。
まぁ。それは私も同じだ。妹のように愛おしい四葉くんと、ずっと一緒にいたと願っているのだから。

「チェキ! でもね、千影チャマ。
 四葉が見た夢は、ただ一緒にいただけじゃないの。
 もっともっと、とっても特別な事をしていたのデス!」

「ん…………? どういう事だい………・・・?」

言っている意味がよくわからない。
四葉くんは、ただ一緒にいただけではないと言った。
それは、今みたいに登下校やショッピングをしているのとは違うのだろうか?
否。違うだろう。彼女は“特別な事”と言っている。その程度の事では、いつも通りだ。
勿論、普段四葉くんと過ごす日常が退屈だとか、どうでもいいなどという訳ではない。
四葉くんにとって私との日常は大切なものだろうし、私にとっても彼女との日常は愛おしい。
ごく普通な毎日も、一緒に過ごすからこそ愛おしく思えるのだ。
ただ、今回彼女の言う“特別”には程遠いと思う。それは彼女の見せる笑顔が物語っている。
では一体何なのだろう。私は、四葉くんの口から発せられる次の言葉を待った。

「クフフッ♪ それはデスね」

四葉くんはここで一息置き、そして嬉しそうに続けた。

「何と、四葉と千影チャマがキスをしたのデス♪」

「…………は?」

ワタシトヨツバクンガキスヲシタ?
一瞬、私は耳を疑った。疑うのも無理ないだろう。
四葉くんが口にしたその言葉は、私の予想を遥かに越えるものだったのだから。
否。普通に考えて、同性の、それも妹のような存在の人のキスをするだろうか?
答えは否に決まっている。普通では、そういう発想が生まれてくる事はそうないだろう。

勿論、別に同性愛を否定するつもりはない。恋や愛なその人、その人達の自由だ。
同性だとか年齢だとか、身分や人種といった下らない事で否定する方が、私は下らないと思う。
とは言え、まさか四葉くんがそのような夢を見ていたなんて思いも寄らなかった。
正直、心臓の鼓動が激しくなり、柄にもなくドキドキしている。おそらく顔も朱に染まっているだろう。
しかし、四葉くんは心のどこかでは私とその様な関係になりたいと願っているのだろうか?
今のままの、姉と妹のような関係では満足できないというのだろうか?
私は今の関係でも充分幸せだと感じているのだが、彼女は更に一歩進んだ関係を望んでいるのか。
だが問題なのは、今の日本は社会的にも世間的にも同性愛は認められていない点だ。
果たして私は四葉くんと一緒になっても、そんな厳しい世間から彼女を護る事ができるだろうか?
否。違う。『護れるか』ではなく護らなければならないのだ。
社会や世間という巨大で融通のきかない敵から、四葉くんを護れるのは私しかいないのだから。
そう。四葉くんの事を愛する私しか…………――――





――――…………って、私は何を考えているのだろか?
何だか予想外の事に、脳の処理機能が追いついていないのか、思考が渦を巻いて混乱している。
取り敢えず落ち着け私。普段の冷静沈着な自分を取り戻すのだ千影。

「それは何とも…………嬉し――――じゃなくて、面白い夢だね…………」

「チェキ? 面白いデスか?」

「…………そうだよ。
 何故なら、私とキミは同性だ…………。同性でキスなんて…………普通はしないだろう…………」

何とか落ち着きを取り戻したのか、普段通りの反応ができた。
最も、未だに心臓の鼓動は早く、身体中が恥ずかしさや照れから熱くなっているが。
そんな私を他所に、四葉くんは顔に『?』を浮かべていた。

「チェキ? そうデスか?
 グランパのいるイギリスや外国だと、挨拶で頬にキスはしますけど。
 四葉の夢だって、千影チャマが挨拶で頬にキスしてくれましたし」

「…………挨拶?」

「ハイチェキ。
 四葉が千影チャマを起しにいって、起きた千影チャマが挨拶に」

「…………」

四葉くんの言葉を聞き、ホッとする。
確かによく考えてみれば、欧米では挨拶として頬にキスをしている。
映画や外国のドラマでもよく見られるシーンだが、日本ではあまり馴染みのない方法なだけだ。
そういった習慣を持たない日本人は、『キスをするイコール異性と』という公式が定着している。
ただ、イギリス人の祖父を持つ四葉くんなら、そういった挨拶法に馴染みがあってもおかしくはない。
イギリスの祖父の元へ訪れれば、頬にキスという挨拶をしているのだろうから。
しかし、挨拶で頬に、か…………。ホッとする反面、心のどこかで残念がっている自分がいる。
残念がる? それは、私が四葉くんとそういう関係を望んでいるというのだろうか?
今まで妹のように接してきたから、『姉妹愛』は抱いていると自認していたのだが…………。

「チェキ? 千影チャマ、どうかしたデスか?」

「…………いや。別に」

何とも言えない、複雑な想いが私の中で渦巻いている。
自分の事だというのに、よくわからなくなってきた。まるで、もうひとり自分がいるような錯覚。
結局、その錯覚は学校に着いても消えず、四葉くんとの登校中の会話は満足にできなかった。


















第二夢へ

























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