ZERO ――シアワセ――






















「ねぇ、鞠絵。プレゼント、何がいい?」

「……ふぇ?」

突然、咲耶はそんな事を訊ねてきた。
視線の先には、妹である鞠絵。だけど鞠絵は、その言葉の意味がわからなかった。
いや。この場合は仕方ないだろう。何の脈絡もなく、突然の投げ掛けられた質問だ。
しかも今は朝食中。この仲良し姉妹の楽しい団欒の一時ではあるが、
生憎と、鞠絵はメインディッシュのお魚様の小骨を取るのに気を取られていた。
人間、何かに気を取られている時に、突然声をかけられたら、中々面白い反応をする。
だからそんな気の抜けた声で返してしまうのは仕方ないが、恥ずかしさに鞠絵は頬を紅く染める。
そんな妹の可愛らしい姿を、姉である咲耶は微笑みながら観察している。

「え、えっと姉上様………プレゼントって一体?」

穴があったら入りたい。
今の鞠絵の心境はそんなところだろう。
恥ずかしさを堪えながら、ある意味元凶である咲耶に質問を返す。
そもそも咲耶が質問の言葉を選んでくれれば、鞠絵だってキチンと返せたはず………たぶん。
いきなり「プレゼント、何がいい?」だ。せめて何のプレゼントなのか言ってくれなければ、わからないだろう。
別に自分達は、テレビなのであるような、テレパシーによって意思疎通をしている訳ではないのだ。
だから鞠絵は質問し返したのだが、咲耶は「はぁ」と大きく溜息をつき言った。

「鞠絵、今週の水曜日は何の日かわかっているわよね?」

「え? 今週の水曜日………ですか?」

そう言われ、鞠絵はカレンダーを見る。
今日は4月2日月曜日。そして水曜日はというと。

「……あ。4月4日、わたくしの誕生日」

「そっ。正解」

そう。4月4日は鞠絵の誕生日なのだ。
だから咲耶は、鞠絵にバースデープレゼントは何がいいのか質問してきたのだ。

「まったく。普通、自分の誕生日を忘れるかしらね」

やれやれと、咲耶は肩を竦める。
しかしそう言われても、忘れていたものは仕方ないだろうと鞠絵は思うが、
確かに言われてみれば、普通の人は一年に一度の特別な日を忘れたりしないはずだ。
しかも、今回の誕生日は、自分達にとって特別な日でもあるのだから。

「すみません、姉上様。
 でも、姉上様。わたくしは、姉上様が選んで下さった品なら、どんなものでも――――」

「ストップ」

鞠絵にとって、咲耶は大切な姉。
優しくていつも自分の事を気にかけれてくれ、そして愛してくれる人。
この世界でただひとりだけ愛し慕っている、大切な家族なのだ。
その咲耶からのプレゼントなら、鞠絵にとってはどんな高価なものよりも尊い宝物になる。
値段や価値ではない、大切なのは心なのだ。だから鞠絵は、本当にどんな品でもよかった。
咲耶が自分の為に選んでくれた品が一番嬉しいのだ。その事を言おうとすると、咲耶から待ったが出た。

「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど。
 プレゼントを用意する側からすれば、一番悩む答えなのよね。
 それに、折角今度の誕生日は、鞠絵が退院してからはじめての誕生日なんだから、盛大に祝いしたいの」

「……姉上様」

咲耶の言葉に、鞠絵は目の奥が熱くなった。

鞠絵はつい最近まで入院していた。
幼少の頃に患った病気が元で、もう10年近くもの長い年月を病院で過ごした。
入院生活は過酷なもので、最初の頃は病院近くの湖に散歩へ出かけたりしていたのだが、
年月が経つに連れ病状は悪化し、終には病院の庭はおろか病室から出る事もできない程だった。
治療の為と言えば聞こえはいいが、鞠絵にとっては牢獄に閉じ込められた感覚だった。

治る見込みのない治療と、不自由な入院生活。
更には両親と咲耶が、鞠絵の事で絶縁状態になった。
それらは、幼い鞠絵の精神を崩壊させていくのには充分なものだった。

ただ、身も心もボロボロになった鞠絵を癒したのが咲耶だった。
咲耶は、入院生活で辛く寂しい生活を送っていた鞠絵の為に、毎週必ずお見舞いに行っていた。
どんなに時間やお金がかかったとしても、それを苦と思うどころか優しい笑顔で笑ってくれた。
絶望の底に堕ちかけた鞠絵の手を、咲耶はしっかりと握り支えてくれた。
そして迫り来る死。それすらも乗り越える事ができたのも、咲耶という支えがあったから。
今、こうして鞠絵が元気にいられるのも、咲耶のおかげと言っても過言ではないだろう。

「ちょっ、ちょっと鞠絵!? どうしたの!?」

「……え? や、やだ。涙が、止まらない」

鞠絵の頬に一筋の涙が伝った。
それを皮切りに、両の瞳からボロボロとお粒の涙が零れ出した。

「大丈夫、鞠絵!? どこか痛いのッ」

「ち、違い……ます……。
 ぐっす………ただ、今こうして…ひっく………姉上様といられる事が………嬉しくて………」

流れ落ちる涙は、溢れ出した感情と繋がっている。
鞠絵は嬉しいのだ。あまりに嬉しくて、その感情が抑えきれないでいるのだ。

鞠絵は入院していた。それは命に関わる程重たい病気の為に。
今は治療と咲耶の支えのおかげで克服する事ができたのだが、それはある種『奇跡』だった。
何故なら鞠絵は、主治医に余命一ヶ月と宣告されていたのだから。


『このままだと、後一月と持たないかもしれん』


それはまだ鞠絵が入院生活を送っていた頃の事。
いつものように日曜日にお見舞いに来た咲耶と、主治医である霧島葵の会話がはじまりだった。
その言葉を――宣告を聞いた時、鞠絵は最初何の事かわからなかった。
否。わかろうとする脳をココロが拒絶した。だが、泣き崩れる咲耶の姿を見て、徐々に恐怖が浮き出ていた。
そして気づけば、鞠絵はその場から走り去っていた。自分の体調も考えず、ただ恐怖から逃れる為。
自室に戻った鞠絵は、ベッドの上に倒れこみ泣いた。何も考えず、溢れ出す感情に身を委ねながら。

この時、鞠絵は再び絶望した。
咲耶によって絶望が希望に変わっていたのに、たった一言の言葉がそれを再び絶望へと変えたのだ。
そして同時に、鞠絵が不自由な入院生活の中で、たった1つだけ願っていたユメが崩れ去った瞬間だった。
そう――――



無事に退院し、咲耶とふたりで暮らしていく。



そのユメが、ガラスのように音を立てて崩れ去ったのだ。
最早、鞠絵は生きていく望みすら断ち切られた。
だけど、それでも鞠絵は『自殺』という逃避を選んだりはしなかった。
それは何故か。答えは咲耶だ。

咲耶は、鞠絵の為に多くのものを犠牲にした。
それは時間でありお金であり、将来の夢など挙げきれない程だ。
鞠絵の治療費は正直に言って馬鹿にならない。両親が嫌気を刺す程なのだ。
そのお金を少しでも賄う為、咲耶は大学を辞め就職したのだ。夢であったデザイナーの道を閉ざしてまで。
更に、就職によって懐に入るようになった収入の殆どを、鞠絵の為につぎ込んだ。
入院費をはじめ、洋服や食器類といった生活用品。長い入院生活で退屈しないように買ってあげた本など。
収入の殆どをつぎ込み、残ったお金でさえも鞠絵の退院後の事を考え貯金。
自分の為に使えるお金は殆どなかった。流行の服や化粧品は愚か、食費だって削っていたのだ。
そして最大の犠牲が時間。咲耶は大学を辞めた後、地元のとある企業に就職した。
その企業は給与がそれなりのものだったが、基本的な休日は週一、日曜日だけだった。
その貴重な休みの日を、咲耶は鞠絵のお見舞いに使っている。
勿論、基本の休みが日曜なだけで、祝日はキチンと休みだ。しかし、その祝日もお見舞いに来ている。



――――そう。
咲耶はお金も時間も、全てを鞠絵の為に犠牲にしている。
そうやって自分の為にしてくれているのだ。自殺なんかしたら、咲耶に申し訳ない。
だから鞠絵は自殺はしなかった。その代わりに決意した事がある。
それは、残り限られた時間の中で精一杯『幸せ』な想い出を作るというもの。



入院してからというもの、鞠絵は幸せと感じた事がない。
勿論、咲耶がお見舞いに来てくれる一時だけは違っていたが、心のどこかで物足りなさを感じていた。
それは、その胸に抱いている、本当に願っている幸せな一時に比べれば仕方のない事。
だが、それは叶う事はない。そう宣告されてしまっているのだ。
だから鞠絵はその叶う事のないユメの代わりに、咲耶にお願いしたのだ。


『わたくしのクリスマスプレゼントは、姉上様とのデートがいいです』


――――と。
そのお願いをしたのは、奇しくも咲耶のバースデーパーティーの最中だった。
『パーティー』と言っても、咲耶と鞠絵のふたりっきりで行われた細やかなもの。
その際、鞠絵は咲耶に手編みのマフラーをプレゼントしたのだが、
そのお返しにクリスマスのプレゼントは何がいいか質問されたのだ。
そして答えたのが今の言葉。

当然、咲耶は鞠絵の身体を心配し止めた。
しかし、残り限られた時間の中で精一杯『幸せ』な想い出を作る、と鞠絵は既に決心していた。
その決心の前に咲耶は折れた。咲耶だって、心のどこかでは鞠絵を自由にしたいと思っていたのだろう。
止めようとする理性を抑え、咲耶は鞠絵との最初で最後のデートを計画した。


咲耶の計画したデートプランは、ウィンドーショッピングがメインだった。
色々なブティックを見て回り、何か気になるものがあれば立ち止まる。
買うか買わない悩んで、結局高くて断念。他にいい物は、と思い他のお店の中を回る。
逆に気に入った服があれば、鞠絵に試着させて咲耶がコーディネートした。
勿論、ブティックばかり回らないで、鞠絵がリクエストした映画を見に映画館に行った。
他にも咲耶オススメのストロベリーパイがある喫茶店やオムライスのお店へも行った。
今まで自由に出歩けなかった分、咲耶は鞠絵を陽が暮れるまで連れ回し想い出を作った。
時折軽い発作が起こったのか、苦しそうな姿や食欲のない鞠絵を見て、咲耶は心が痛みもした。
だけど、咲耶は敢えて見ていない事にした。デートの間は、鞠絵を普通の女の子として接する為に。
それを望んでいるから。最後に幸せな想い出を作る事を、鞠絵が望んだのだから。
そして、最後に立ち寄った街が一望出来る丘の公園で鞠絵は倒れた。


『姉上様、大好きです』


そう言葉を残して。
その後、鞠絵は病院へと運ばれた。
手術室へと運ばれていく鞠絵を、ただただ呆然と見つめる事しかできなかった咲耶。
永遠に続くとも感じられる手術。その間、咲耶はただひたすら神に祈り続けた。
鞠絵の無事を。鞠絵を助けて下さいと祈り続けた。最早、咲耶にできる事はそれしかなかったのだ。










そして――――










奇跡は起こった。
鞠絵は一命を取り留めたのだ。
まだ油断はできない状態ではあったが、それ以降病状が悪化する事もなく徐々に回復していった。
そして遂にこの春、無事に退院する事ができたのだ。同時に、それは咲耶と鞠絵のユメが叶った瞬間でもある。
そう。今こうしてふたりで暮らしている現。それは正に奇跡によって成り立っているのだ。

「ぐすっ……だめ。嬉しいのに………涙が…ひっく……止まらない」

鞠絵は、奇跡によって成り立っている『今』が嬉しいのだ。
訪れる事のないと諦めていたユメ。咲耶とふたりで暮らすという、当たり前だけど難しいユメ。
それが叶っているのだ。これ程嬉しい事は他にないだろう。

「鞠絵」

咲耶は、そんな鞠絵を優しく抱き締めた。
まるで壊れ物を扱うように、その細く柔らかい身体をそっと優しく。

「鞠絵。その気持ち、私もわかる。
 私も、今こうして鞠絵の事を抱き締められる事が嬉しいの」

触れ合った身体。そこから伝わってくる温もりと心臓の鼓動。
それらは、鞠絵が確かに生きているという証。今この場にいる鞠絵は夢幻ではなく現だ。
咲耶はそれが嬉しかった。鞠絵が確かに自分の腕の中にいる。ただそれだけの事が何よりも嬉しかった。

「……鞠絵、貴女は幸せ?」

「……ぐすっ………はい。わたくしは、幸せです。
 こうして……ひっく………姉上様の傍に……いられる事が………凄く、凄く幸せです」

「そう。私もよ、鞠絵。
 私も貴女と同じで………今、一番の幸せを感じているわ」

――――幸せ。
それは人が生きていく中で最も求め望むもの。
誰だって不幸な人生を送るより、少しでも幸せになりたいだろう。
そして人が幸せだと感じる瞬間。それは、人それぞれであり無限に存在する。
高価な物を身に着けている時。美味しい料理を食べた時。仕事が上手くいった時。
挙げれば切がない程、幸せというものは大小様々に存在している。
だが、人が本当に、心の底から幸せだと感じる瞬間。それは大切な存在と過ごす一時ではないだろうか?

人には、誰だって大切で愛しい存在がいる。
それが家族なのか恋人なのか、それとも尊敬する人なのかはその人によって異なる。
そして、そんな大切で愛しい人と過ごす一時。これ程の幸せは他にないはずだ。
ただ、多くの人々はそれに気づいていない。それは何故か?
答えは簡単だ。そんな人と過ごす一時が、既に当たり前のものになっているからだ。
幾ら尊い幸せといっても、それが当たり前になった瞬間、それは既に『幸せ』だと言い難い。
悲しいが、人は飽きやすい生き物だ。一度飽きてしまえば、次のものを求めてしまう。
故に普段から愛しい人と過ごしていると、その事が当たり前になってしまい『幸せ』だと感じなくなってしまう。
人が本当に幸せだと感じるものが、実は身近にあるという事をわからず生きていいるのだ人は。

だが、咲耶と鞠絵は違う。
この姉妹は気づいているのだ、その心理に。
過去に一度、お互いに愛しい存在と離れ離れになった経験があるからだ。
そして気づいているからこそ、今こうして過ごしている日々が愛しく幸せなのだ。そう――――

「………姉上様、大好きです」

「………私もよ、鞠絵」

愛しい人の温もりを感じられるこの瞬間こそが、本当の『シアワセ』なのだ。




















END

























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