時々、私は判らなくなる。
私がこの世に生を受けてから今日まで過ごした年月。
その中で起こった様々な出来事。それが、本当はユメだったのではないのだろうか。
現実で起こった事が辛く悲しくて、私の弱い心ではそれを思い出にしておくのは耐えられない。
だから私が自分自身で気づかない内に、その思い出をユメとして作り変えたのかもしれない。
私の弱い心でも耐えられるように、辛い事や悲しい事を消し去って、自分に都合のいい思い出を………。

私は、時折そう思う事がある。
思うが故に判らなくなる。何が現で、何がユメなのか。
あの時体験した、とても悲しい出来事。あの時体験した、とても嬉しい出来事。
どの出来事が本当で、どの出来事が偽りなのか、私は―――――――――――――――――――ワカラナイ。




















ユメと現との狭間で





















『――次は旧妹姫。旧妹姫市です』


電車のアナウンスで目が覚めた。
少し頭がぼーっとする。いつの間にか眠ってしまっていた。
会社のある街から私が住む妹姫までの四駅、約30分。いつ頃から眠っていたのか判らない。
最近の仕事は、少し忙しかったから疲れていたのだろうか。それともただの寝不足か。
何にせよ、降りる駅に着く前に目が覚めてよかった。あのまま眠っていたら、どこまで行った事か。
旧妹姫駅に着くと、私は席を立ち電車から降りた。

「うわ……誰もいない」

駅には私以外、殆ど人がいなかった。
改札口や小さな売店のシャッターは下りていた。
切符や定期を見せる必要はないのに、何故か私は定期をポケットから出してしまった。
駅を出ても同じだった。周りは、駅の照明や街灯の明かり以外、何も光を発していない。
無理もない。時刻は日付が変わろうとする頃。今、私が乗っていた電車は終電だ。
都心ともなれば、終電は多くの人が乗っているだろうけど、妹姫市はどちらかというと田舎だ。
明治の文明開化の折りに造られた、四方を山や海に囲まれたとても古く歴史のある街。
一応、観光名所にはなっているが、若者の好みそうな繁華街は少なく夜が来るのも早い。
もっともそれは旧街の事で、オフィス街の並ぶ新街はそれなりに賑やかだ。
だけど、私は古い街並みの旧街の方が好きだ。静かで、人の優しさや温もりに溢れた旧街が。
生まれ育ち、慣れ親しんだからかもしれないが、私は旧街の雰囲気が大好きだ。
私の――“私達の”大切な思い出に溢れたこの街が。

「……ホント、色々あったなぁ」

ポツリと、私の呟きが暗闇の中に放たれ消える。
暗い夜道を歩く私の周りには、何も音を発するようなものはない。
街全体が眠りに着いているのだ。そのおかげで、私の呟きですらよく響く。

ふと思い起こす。私がこの街で過ごした日々を。
私がこの世に生を受けてから今に至るまで、様々な事があった。
小学校の頃はあまり記憶にないけど、中学や高校は別に特別な事のない普通の生活だった。
優しい両親と、いつも傍にいた大好きな妹。普通だったけど、大切な家族と過ごした幸せな日常。
その中で起こる様々な出来事が、私にとっては普通だけど、どこか特別な出来事だった。
だけど、その幸せで特別な日常が一瞬にして崩れ去る出来事があった。


今から7年程前の事だ。
その頃の私は19歳。今みたいに仕事の忙しさに悩まされていない、ただの大学生だった。
自分の将来の夢を叶える為に大学へ通い、家に帰るとまだ小学生の妹が笑顔で迎えてくれる。
妹の笑顔はとても温かく、可愛らしかった。まるで天使のようで、私にとって何よりも癒しになっていた。
私は妹の事が大好きだった。無邪気でどこか危なっかしくて、小さい頃からずっとずっと護っていた。
共働きで仕事が忙しい両親の代わりに、私が妹を護らないといけない。そう思っていた。
妹の方も、小さい頃から私の事を『大好き』と言ってくれ慕ってくれた。
私達はとても仲のいい姉妹だった。喧嘩をした事なんて殆どない。あったとしてもすぐ仲直りしていた。
余程の事がない限り、私は妹を怒ったりしなかった。私はどんな時でも妹の味方だったのだ。
私は誰よりも妹の事を愛し、誰よりも妹の幸せを願っていた。だけど――





妹が病に倒れた。





その日、妹は朝から体調が悪かった。
頭痛や吐き気、微熱といった風邪の症状が現れていた。
風邪は特に珍しい事はない。妹は、季節の変わり目にはよく風邪を引いていたのだ。
だから妹や両親は『いつもの事』と思い、市販の置き薬を飲んだだけで病院には行かなかった。
いつもより少し遅めのペースで朝食を食べて、いつもより遅い時間に家を出る。
妹の通う小学校と旧妹姫駅は同じ方向にある。私達はいつも途中まで一緒に登校していた。
その間、色々な話しに華を咲かせていたのだけど、その日は話よりも妹の体調の方が気になっていた。


『大丈夫なの?』


私は歩きながら、何度もそう尋ねた。
その度に、妹は『大丈夫です』や『毎年の事ですから』と言っていた。
確かにこの時期に風邪を引くのは、毎年の事だ。朝も『いつもの事』と思っていた。
だけど、その『いつもの事』が、この時だけはどこか嫌な胸騒ぎがして不安だった。
その胸騒ぎや不安は妹と別れてからも、大学で講義を受けている時もしていた。
とても不安で怖かった。大丈夫だと言い聞かせても、心のどこかで不吉な事を考えてしまう。
だから早く家に帰りたかった。少しでも早く家に帰って、妹の――元気な姿が見たかった。
もし、まだ体調が悪いようなら、無理やりにでも病院へ連れて行く。そう、思っていた時だった。


『……妹姫。妹さんが倒れたそうだ』


――そう、知らされたのは。
一瞬、頭の中が真っ白になったのを覚えている。
だけどすぐに我に返り、その後は急いで妹が搬入された病院へ向かった。
妹が搬入されたのは新街にある病院だった。私が病院に着くと、既に両親はいた。
母は少し顔色を悪くし、父は落ち着かないのか椅子に座ったり立ったりを繰り返していた。
そんな中、私は『あの時、無理にでも休ませて病院へ連れて行けば……』という、後悔が過ぎっていた。
妹は朝の内でもう限界寸前だったのだ。だけど、私達に心配させたくないから元気に振舞っていた。
私は妹のそんな思いを見抜けなかったのだ。誰よりも妹の事を想い、誰よりも妹を大切にしてきたのに。





私は、姉失格だ。





「ホント、ダメな姉よね………私って」

自嘲気味に呟く。
私は妹の事をよく理解している――何を考えているのか判るのだと、自負していた。
だけど実際はどうだろう。あの時の私は妹の思いを理解出来ていたのだろうか。
その答えはYESでもあり、同時にNOでもある。どちらともいえる矛盾した答え。
妹は私達に心配をかけたくないから無理をしている。その事は判っていた。妹の性格上そうする、と。
だけどその『無理』がどれ程のものなのか、妹がどれ程苦しんでいたのか私には判らなかった。
所詮、人が判るのは己自身の事のみ。人が何を思い、何を感じているのか他人が判る訳がない。
それが判ると自負し断言するのは傲慢な考えなのだ。私は、それを痛い程理解した。

「それに馬鹿。私の所為で、あの子に辛い想いをさせた………」

口にする言葉は全て夜の風に吹かれ、闇の中へと消えていく。
仕事帰りの足はいつも重い。それは別に仕事で疲れているからではない。
寧ろその逆。私は、今自分が住んでいる家に帰りたくないのだ。誰も出迎えてくれない、あの家に。


妹が倒れ、そのまま入院した。
医師の話を聞くと、妹はある病気にかかってしまった。
病状はこのまま放っておけば確実に身体を貪り、最悪、命を落とす恐れがある。
更にこの病気の治療法はまだ研究中であり、症状を抑えれても治す事は難しい。
だから、このまま専門医のいる病院へ入院し、長い時間をかけて治療を行うべき、だそうだ。
その結果、妹は妹姫市から離れた、自然に囲まれたとある病院に入院する事になった。
そしてそれが、私達家族が今まで送っていた、幸せで特別な日常の崩壊のはじまりでもあった。


妹が入院してからも、病状は中々回復の兆しを見せない。
それどころか悪化しているのでは。そう思ってしまう程、頻繁に発作に襲われている。
高熱や堰、頭痛。酷い時は耐え切れない程の吐き気や苦しさに襲われ意識が遠のく。
妹はベッドから離れられなくなっていた。病院内を歩くだけでも看護婦さんが付き添っている。
最初の頃は妹の愛犬であるミカエルを庭に連れ出していたのに、許可なく外には出られなくなっていた。
妹は日に日に弱っていた。もう助からない。そんな思ってはいけない事が、頭を過ぎる時もあった。
そんな状況に両親は絶望し、言い争いが絶えなくなっていた。あんなに仲のいい夫婦だったのにだ。
まるで心にある絶望をお互いの所為にし咎める事で、潰れてしまいそうな弱い心を守るように。

一方、私は大学を辞めて就職していた。
妹の治療や入院にかかる費用は多額なものだった。
共働きをしているとはいえ、両親だけではその費用と生活費を遣り繰りするのは難しかったのだ。
だから、少しでも両親の助けになればと、私は貰った給料の殆どを妹の入院費や治療費に注ぎ込んだ。
また、忙しい両親の代わりに、仕事が休みである日曜日は必ずと言っていい程、お見舞いに行った。
妹は病院では独りぼっちなのだ。私が会いに行って、寂しさや辛さを和らいであげないといけない。
夢を諦めてもいい。新しい洋服や化粧品なんていらない。あまり友達と遊びに行けなくてもいい。
それで妹が助かるのなら、私は様々なものを犠牲にしてもいい。そう思っていた。
だけど、運命はそんな私の思いを嘲笑うかのように残酷なものだった。


妹が入院してから3年。
日に日に両親がお見舞いに行こうとしなくなっていた。
忙しいからではない。行こうとしないのだ。それどころか私に『また行くのか?』と尋ねてくる。
両親は諦めたのだ。妹の病気は治らない、このまま少しずつ衰弱して命を落とす。何をしても無駄。
お見舞いに行こうとしない事やあの言葉から、両親のそんな絶望の果ての諦めの思いが伝わってくる。
同時に、私の中で両親に対する、抑え切れない程の強い怒りと憎悪の思いが蠢いた。



あんなに優しかったのに。
いつも妹の事を大切に想ってくれていたのに。
妹が学校で倒れ発病した時、とても辛そうに悲しんでくれたのに。



ドウシテ、妹ヲ見捨テヨウトスルッ!!?



私は、恐らく生まれて人を――両親を憎んだ。
憎んで憎んで、何度も何度も言い争いや喧嘩をした。
そして、ココロから溢れだす感情を抑える事が出来ず、私は全てを両親にぶつけた。
結果、私の大好きだった『とても仲のいい幸せな家族』は、硝子が砕けるように崩れ去った。
私は妹の世話を自分1人で見る為に、両親との縁を切り、妹の親権を私に移した。
もう誰の手も借りたくない。いつか妹の病気が治るその日まで、私が妹の支えになる。そう決心した。

その日から、私は仕事を頑張った。
妹の治療にしても入院にしても、自分の生活にしてもお金が必要だった。
自分の生活はそれ程問題ではない。ギリギリまで切り詰め、出費を必要最低限に抑えればいいのだ。
問題なのは多額の治療費だ。保険などで多少はカバーしてくれるが、やはり厳しいものがあった。
余裕なんてない。限界ギリギリまで調節して、何とか治療費と生活費を工面していた。
正直、辛かった。辛さのあまり泣いた事だってあった。だけど弱音は吐かなかった。何とか頑張った。
妹は私以上に辛く悲しい思いをし、常に死と隣り合わせの日常の中で耐えているのだから。
それに、妹の顔を見れば、ココロとカラダを潰しそうだった辛さや悲しさが消え去っていった。
だから私は頑張れた。どんなに辛くても悲しくても耐えてこれた。
いつの日か、妹の病気が治ってまた一緒に暮らせる日がくる事をユメ見て。





だけど、そのユメは叶わなかった。





妹の病状は悪化の一途を辿る。
様々な薬や治療を試してみたけど、どれも僅かに病魔の侵攻を抑える程度だった。
抑えるだけでは病気は治らない。妹の身体は、時間をかけて徐々に病魔に侵されていた。
そして妹が入院してから7年。紅葉が少しずつ散りはじめた11月の半ば。
私は、妹の主治医であり例の病気の研究をしている葵先生から、ある宣告を受けた。


『このままだと、後一月と持たないかもしれん』


悔しそうな言葉だった。
私の妹を――自分が受け持った患者を救えないかもしれない事が悔しかったのだろう。
今後の治療の事を話している中、葵先生は何度も悔しそうな、そして辛そうな顔をしていた。
だけどそんな表情を見せる葵先生の説明は、残念ながら殆ど私の頭には入らなかった。
頭の中が真っ白になっていた。瞳は何も映さず、耳は何も聞こえない。外部からの情報を遮断していた。

私はずっとずっと信じていた。
いつの日か、妹が無事に退院する事を。また一緒に暮らせる事を。妹と幸せな日常を送れる事を。
例えどんなに時間がかかっても、どんな代償を支払う事になっても、そうなる事を信じてきた。
辛く悲しい現実に何度も押しつぶされそうになっても、そのユメだけが私達の支えだったのだ。
だけど、そのユメが砕け散ったのだ。私は泣いた。妹が入院してから流さないと決めた涙を流した。
私は絶望した。私の唯一の支えであり、最も大切な存在である妹の命が後僅かしか残されていないのだ。
信じたくなかった。認めたくなかった。嘘だと願った。これがユメなんだと、そう思いたかった。
だけどそれはユメではなく現だ。覆す事すら叶わない、辛く悲しい運命。

一体、妹が何をしたというのだろうか?
約10年間。妹はごく普通の元気な女の子として育った。
何か特別悪い事をした訳でもない。寧ろ優しくて真面目で、寂しがり屋な可愛い娘だった。
これから先、少しずつ大人への階段を上り、必ずステキな女性になっていただろう。
眩しい程輝いた、そして様々な希望や可能性のある未来が待っている。そのはずだった。
だけど、今の妹に残された命――未来は後僅か。助かる可能性はない訳ではないが、ゼロに近い。
奇跡を待つしかないのだが、所詮、奇跡は奇跡。そう簡単に起こるようなものではない。
私は、妹にそんな運命を与えた神が憎かった。妹を見捨てた両親以上に。


葵先生の宣告。私はそれを心の奥底に秘めた。
あの宣告は妹には辛過ぎる現実だ。妹は今受けている治療に、自分の未来を託しているのだ。
そんな妹に、自分の未来を託した治療が無駄な事を、自分に限られた時間の事を言える訳がない。
本人でない私がショックだったのだ。言ったらどれ程強いショックを受け、絶望するか判らない。
だから、私は妹には何も言わなかった。私自身も、妹の前では何も知らない風に振舞った。
だけど病魔の侵攻は相変わらずのまま、妹の弱った身体を確実に死へと誘っていった。
そして、あの日が来た。



それは、私の26回目の誕生日の事だった。
陽も暮れた夕方、私は妹主催のバースデーパーティーに出席していた。
パーティーと言っても、参加者は私と妹の2人だけ。他の参加者は誰もいない。
妹がどうしても私と2人っきりで過ごしたいとお願いしてきたので、友達に無理を言ったのだ。
その友達は私達の事を判ってくれる理解者であり相談相手だから、快く了承してくれた。


『いいのいいの。あたし達は別の日に祝ってあげる。
 あたしと美穂はいつも一緒にいるから、咲耶やあの子の気持ちは判らないけど、
 もしも同じように離れ離れになると辛いし悲しい。何より、寂しくて心が潰れそうになると思う。
 だからあの子にそんな想いをさせたらダメ。少しでもあの子との想い出を作ってあげなよ、咲耶』


友達の――美奈の、その優しさが嬉しかった。
そして、私は仕事が終わると急いで病院へ向かった。
パーティー会場である妹の病室には、小さな、だけど2人分には充分なサイズのケーキがあった。
本当なら、身体が弱く免疫力の低下した妹は消化吸収のいい栄養食や果物以外はあまり食べない方がいい。
だけど、葵先生や妹の担当の看護婦さんである百合子さんが気を遣って用意してくれたのだ。


『今日だけは特別だ。多少の事は大目にみよう』


――と、言って。
葵先生と百合子さんも、数少ない私達の事を理解し支えてくれる人だ。

パーティーは静かにはじまって、静かに終わった。
2人だけのパーティーなのだ。大勢でするように賑やかになる訳がない。
それに妹は病弱で騒ぐと身体に障るし、入院生活がはじまってから物静かになっていた。
だから、自然とパーティーは静かになる。勿論、ずっと無表情のままという訳でもない。
私が面白い話をすれば妹は笑ってくれるし、料理やケーキは美味しいと笑みを見せてくれる。
プレゼントに手編みのマフラーを貰い、それから編み物の話や私の失敗談になればまた笑みが零れる。
心から楽しい、そう思えた。妹とこんな楽しい一時を過ごせてよかったと思えた。
だけどその楽しい一時は、妹が口にした、たった一言の言葉で終わりを迎えた。


『わたくしのクリスマスプレゼントは、姉上様とのデートがいいです』


それは、妹が口にしたクリスマスプレゼントのリクエスト。
私が、マフラーのお礼に『クリスマスに素敵なプレゼントをしてあげる』と言い、妹がそれに答えた。
だけどそのリクエストの内容は、私の予想を遥かに超えたとても信じられないものだった。
だから私は尋ねた。『自分の身体の事判っているの?』と、溢れ出しそうだった感情を抑え。
すると、妹の口からは更に信じられないような言葉が出てきた。


『えぇ。判っています。
 わたくしはもう長くありません。おそらく後数日の命だと思います』


妹は、私と葵先生との会話を聞いていたのだ。
そして知ってしまったのだ。自分にとっての死の宣告。
自分に残された時間が後僅かだという事を。妹はそれを知ってしまっていた。
それはとても受け入れ難い、悪夢とも思える現実。残酷な運命の結末。
私はそれを隠してきた。妹が自分の死期を知り、絶望と悲しみの奈落に堕ちる姿を見たくないが為。
泣きたくても泣かず、悲しくても悲しげな顔をしない。私は『笑顔』という名の仮面を被っていた。
だけどそれは無駄だった。悟られないようにする以前に、既に知ってしまっていたのだ。
だから、私は逆にその事を理由に、妹を説得しようとした。

妹の身体は最早限界に近い。
いつ強い発作が起きるか判らない、とても危険な状態だ。
そんな状態で、真冬の肌寒い街中に連れ出すなんて自殺行為だ。
今にも消えてしまいそうな命の灯火が、一瞬で消えてしまうかもしれない。
それだけは嫌だった。妹と今以上に離れる事になるのだけは、嫌だった。
だから私は妹からのお願いを断り、説得を試みた。だけど――


『……判っています。自分の身体の事ですから、判っています。
 だけどわたくし、このままじっとして死を待つなんて事したくありませんッ!
 わたしに時間が残されていないのなら、その残された時間だけでも自由に生きたいんですッ!
 こんな牢獄みたいな暮らしじゃなくて、姉上様と2人っきりの素敵な想い出を作りたいんですッ!!!』


妹が涙と共に口にしたその言葉。
今まで私にすら隠していた、心の奥底に秘めた悲しみと願いが入り混じった言葉。
入院生活がはじまってから失い、そして自由を求めた妹の最後のユメが込められた言葉。
それを聞かされて、私が断れる訳がなかった。


我ながら妹には甘いと思った。
だけどそれも仕方ないと思った。私は妹の事が世界で一番大好きなのだから。


そして4日後のクリスマス・イヴ当日。
私は朝早く病院へ向かい、先生や看護婦さん達の目を盗んで妹を連れ出した。
約7年振りに妹は病院の外へ、入院して以来はじめて自由になれた瞬間だった。

妹とのデートは、ウィンドーショッピングがメインだった。
色々なブティックを見て回り、何か気になるものがあれば立ち止まる。
買うか買わない悩んで、結局高くて断念。他にいい物は、と思い他のお店の中を回る。
逆に気に入った服があれば、妹に試着させてみて私がコーディネートした。
勿論、ブティックばかり回らないで、妹がリクエストした映画を見に映画館に行った。
他にも私オススメのストロベリーパイがある喫茶店やオムライスのお店へも行った。
今まで自由に出歩けなかった分、私は妹を陽が暮れるまで連れ回し想い出を作った。
時折軽い発作が起こったのか、苦しそうな姿や食欲のない妹を見て心が痛みもした。
だけど、敢えて見ていない事にした。デートの間は、妹を普通の女の子として接する為に。
それを望んでいるから。最後に幸せな想い出を作る事を、妹が望んだのだから。
そして、最後に立ち寄った街が一望出来る丘の公園で妹は倒れ、クリスマスの日―――

「あ、もう着いたんだ」

いつの間にか、アパートの前まで来ていた。
昔の思い出に浸っていた所為で、自分でも気づかない内に着いてしまっていた。
両親と縁を切った時から住みはじめたアパートの一室。私がはじめての独り暮らしをした家。
少し古く、リビングと寝室を兼用する六畳一間と小さなキッチンやお風呂、トイレがついた部屋。
だけど家賃の安さと駅からの距離で選んだ掘り出し物で、私は特に不満はなかった。
自分の事でお金を使うより、妹の為にお金を使いたかったから。

「ただいま」

鍵を開け、扉を開ける。
返事が返ってくる訳がない言葉を口にする。
私の帰りを待っている人はいない。両親と縁を切り今の私は独りなのだ。
だから、私の『ただいま』に対して『お帰りなさい』という言葉が返ってくる訳がない。
返ってくる訳がないはずなのに――

「お帰りなさい、姉上様」

――穏やかな、そして私の大好きな声が返ってくる。

「……ま、まり…え………?」

一瞬、自分の目を疑った。
私の目の前。距離にして1メートル程しかないだろうその先には、私の大切な妹である鞠絵の姿があった。

「ど、どうして鞠絵……?」

貴女、アノ時、■ンダハズジャ――


――ドクン


「痛っ」

頭が――痛い。
頭が割れそうな痛み。あまりの痛さに意識が飛びそうになった。
目の前が真っ白になり、何も聞こえない。自分がその場にいるのかさえも判らなくなった。
それはほんの一瞬の事だったはずなのに、私はには何時間のように思えた。

「だ、大丈夫ですか、姉上様!!?」

感覚が回復したのか、鞠絵の声が聞こえる。
とても慌てた、心配そうな声。見ると、鞠絵は不安げな表情で私を見つめていた。

「え、えぇ。大丈夫よ」

倒れそうな私の身体を支える鞠絵にそう言う。
意識が飛びそうな程の痛みがあったのに、別に辛くはない。
まだ少し痛むけど、あまり気にならない程度だ。私はゆっくりと立ち上がる。

「本当に大丈夫ですか?
 折角わたくしが退院したのに、次は姉上様が入院だなんてなったら、わたくし………」

――そうだった。
昨日、鞠絵は7年にも及ぶ治療を終え退院したのだ。
入院中、特に去年のクリスマスは本当に危険な状態だったが、何とか一命をとりとめたのだった。
まだ完治ではない様子見という事らしいが、鞠絵は自分を苦しめていた病魔に勝ち、自由を手に入れた。
そんな記念するべき事を忘れるなんて、どうかしている。しかも、鞠絵が■んだと思っていたなんて。

「ホントどうかしてる、私って」

「姉上様?」

「何でもないわ、鞠絵。
 どうも疲れている所為で、ユメと現実が混ぜこぜになっているみたい」

言って頭を軽く振る。
そうする事で、今までユメを見ていた自分を覚まさせる。
疲れているのだろうか。私は現で過ごした日々と、ユメで過ごした日々との区別がつかなくなる。
あの時体験した悲しい現と、あの時夢見た楽しいユメとを取り違えた。そんな気がする。
勿論、その逆も然り。

鞠絵が入院していた頃、私はいつも不安だった。
今日は比較的元気だったけど、もしかしたら明日は発作で苦しむかもしれない。
お見舞いに行って、楽しく話をしている最中に突然意識を失うかもしれない。
病気に冒された鞠絵の命の灯火がいつ消えるか。それが不安だった。
その不安がユメとなって毎晩うなされていた。それは退院した今でも同じ。
否。退院したばかりだからこそ、また入院してしまうかもしれない。そう不安に思ってしまうのだ。
そして、その不安がまたユメとなり、現と混ざり合う。今、私がなったように。

「あまり無理をなさらないで下さい。
 姉上様、ご自分がどんなに辛くても無理をなさいますから………」

「そうね。そんなところ、誰かさんと同じなのよね、私って」

言うまでもなく、その誰かさんは鞠絵。
7年前、体調が悪いのに無理をして学校で倒れた前科がある。
それは紛れもない事実だから反論は出来ないけど、鞠絵は少し不満げに『姉上様、意地悪です』と言った。

鞠絵は入院していた頃、いつも辛さと悲しみの入り混じった表情をしていた。
更にその表情を『笑顔』という名の仮面を被る事で、私や先生達に隠していた。
それは私や先生達に心配をかけたくないから、だと鞠絵自身が前に言っていた。
だけど、その所為で、感情を表に出せなくなり、鞠絵から自然な表情が失われていった。
入院生活は、鞠絵から自由だけではなく表情も奪っていたのだ。
それが今ではどうだろう。少しずつではあるが、感情を表に出すようになった。
まだどこか遠慮がちなところはあるけど、自分の気持ちをキチンと相手に伝えている。
長かった。後少しだ。後少しで鞠絵は病気が完治し、昔のように笑顔の絶えない女の子になる。
私はそれが嬉しい。泣きたくなる程、嬉しかった。





だから――





「あ、姉上様ッ!?」

鞠絵が驚いている。
無理もない。突然、私が抱きしめたのだ。驚くなという方が無理だ。
だけど私は驚いている鞠絵を放そうとしない。逆に抱きしめる腕の力を強める。
そして一言。私は擦れそうな程小さな声で、1つのお願いを口にした。





少しの間、このままにさせて、と――












END














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