何故、こんな事になってしまったのだろう?
アタシには、今自分の身に起きている現状が理解できなかった。
否。できるはずもなかった。今まで、ごく普通の平凡な日常を送っていたアタシには。
正直に言って、これは夢か幻としか思えない程、非現実的で理解し難い現状。
だから寧ろそう思った方が、今の現状を比較的楽に理解出来るかもしれなかった。
だけどこれは現実。アタシが生み出した夢でも幻でもない、実際に起こっている現だ。

――夜。
月明かりが照らす中、アタシは彼女と対峙している。
彼女は、アタシのよく知っている人であり、彼女もアタシの事知っている。
そんな彼女との距離はほんの数メートル。距離なんて殆どなく、アタシ達を仕切る壁もない。
だけどアタシは、今自分が立っている場所から一歩も動く事ができない。
アタシは、彼女に近づく事ができない。否。近づいてはいけないのだ。

「…………鞠絵、ちゃん」

声が震え、上手く言葉にする事が出来ない。
やっとの思いで口にした言葉は、冷たい夜風に流され闇の中へ消え去った。
それでも彼女――鞠絵ちゃんの耳には届いたのか、普段アタシに見せる優しい笑顔を見せる。
その笑顔を見ると、あぁ、本当に鞠絵ちゃんなんだなぁと実感が湧く。
例え、今両の瞳に映る鞠絵ちゃんの姿が、現実的に有り得ない姿でも。


「…………」

無言のまま彼女が一歩、また一歩と近づく。
ゆっくりと夜の冷たい風を全身に浴びながら、その手に大きな■を手に。
全身を黒一色に統一されたその姿は、手に握られた■もあり、まるで■■の様に見える。

「はぁッ……っ…」

アタシは身体を動かそうと全身に力を込めた。
だけどアタシの身体は言う事を聞かない。まるで金縛りに遭ったように動かなかった。
喉もカラカラに渇き、呼吸も粗く、アタシは全身を震えさせながら両の手に汗と■を滲ませる。
たぶん、今のアタシは恐怖しているのだ。頭で理解した訳じゃない、本能的にそう思ってしまった。
理由はわからない。頭ではまだ混乱し理解できていないが、本能的に恐怖を抱いてしまっているのだ。

「…………鈴凛ちゃん」










まるで死神を髣髴とさせる黒装束姿の鞠絵ちゃんに対し。
白銀に輝く、身の丈以上の長さの剣を手にする鞠絵ちゃんに対し。
その巨大な剣の切っ先を、なんの躊躇いもなくアタシに向ける鞠絵ちゃんに対し。そして――――










「…………貴女を、殺します」

鋭く冷たい目で、血塗れのアタシに言い放つ鞠絵ちゃんに対し。




















月下凶夢





















「………んっ」

重たい目蓋を開けると、視界いっぱいに白い光が広がった。
その光はとても眩しくて、自然と光を遮ろうと右手で目を隠す。
徐々に治まっていく光の先にぼんやりと映る物は、真っ白な天井と心配そうにアタシの事を見つめる――

「……鞠絵、ちゃん?」

アタシの姉妹である鞠絵ちゃんだった。
ただ、彼女は心配そうにアタシの事を見つめ、その瞳に涙を浮かべていた。
よく見ると、鞠絵ちゃんの周りには咲耶ちゃんや可憐ちゃんをはじめ、他の姉妹皆がいた。
そしてその皆が鞠絵ちゃん同様に、心配そうにアタシの事を見つめていた。

「……鈴凛ちゃん。よかった。本当に……よかった」

「え? ちょっ、鞠絵ちゃん!?」

鞠絵ちゃんはイキナリアタシに抱き付いてきた。
同時に、それまで溜めていた涙が、両の瞳から溢れ出た。
鞠絵ちゃんは泣いていた。涙を流しながら「よかった」と、アタシの胸の中で呟く。
アタシはそんな鞠絵ちゃんを放っておけず、優しく抱きしめ返した。
ただ、アタシの今の心境は…………心底混乱、というか、状況が理解できなかった。
どうして皆がアタシの周りに――しかも、皆心配そうにしているのか理解できなかった。
特にどうして鞠絵ちゃんはこんなにも涙を流しているのか…………。
アタシは現状を理解しようと、目が覚める前の記憶を必死で探ろうとする。
だけど何も思い出せなかった。否。こうなる前の記憶を思い出す事はできたけど、何も解決しなかった。
思い出した記憶は、ごく普通の日常。家や学校での出来事だけだった。


――朝。
夜更かしの所為で寝坊。
いつまでも起きてこないアタシの元へ、雛子ちゃん・亞里亞ちゃんのお子様コンビが襲来。
寝不足で完全に覚醒していないアタシのお腹の上に、2人が飛び乗って強制的に覚醒。
ただ、2人同時による一撃は凄まじく、あまりの威力に気を失った事は多数。
おまけに、そういう時はまだ起きていないと思われて、お腹の上で飛び跳ねられる始末。
で、いつもの如く遅刻ギリギリになって、白雪ちゃんの朝食を食べ損ねた。

――昼。
何も変哲のない退屈な学校。
授業よりも本の事を話してばかりな先生や、意味不明な奇声をあげる老教師の授業で熟睡。
それでお昼休みになると、決まって何とか団っていう同好会の人がやって来る。
何でも彼女達の同好会に“アンドロイド”という要素が必要らしく、メカ鈴凛の勧誘に来るのだ。
最初は、別にいいかなぁ? なぁんて思っていたけど、今はそんな気はこれっぽっちもない。
何故なら、彼女達――正確には“彼女”の評判を知っているからだ。勿論、悪い方の意味で。

――夜。
何事もなかった一日の終わり。
いつものように白雪ちゃんのロシアンルーレットのような晩御飯を食べて、お風呂に入って。
それから朝の事もあって、早めに寝ようと思っていたら…………。





――――その後の事が思い出せなかった。





「……あれ? アタシ、どうしたんだろ?」

思い出せなかった。
その部分の記憶が綺麗に抜け落ちていた。
確か、寝ようと思ったところに誰かが訪ねてきた。それは間違いない。
だけどそれが誰だったのか、そしてその理由とその後の行動の全ての記憶がなかった。
わからない。わからなかった。何も思い出せない。アタシは、一体………?

「キミは昨日の晩…………鞠絵くんとミカエルの散歩に出かけ…………事故に遭ったんだ」

「………え?」

アタシが思考と疑問のループに陥っていると、横からそんな声がした。
その声の主は、アタシの姉である千影ちゃんだった。

「千影ちゃん、事故って……?」

「…………言葉の通りさ。
 夜、歩道を歩いていたキミ達の元へ…………暴走車が一台、獣の如く突っ込んできて…………」

千影ちゃんの説明によると、昨日の夜、アタシは鞠絵ちゃんとミカエルの散歩に出かけた。
普段、ミカエルの散歩は夕方に済ませているのだけど、その日は鞠絵ちゃんが委員会に出席。
早く終わると思っていた委員会が予想以上に長引いて、鞠絵ちゃんが帰って来たのは夕食の頃だった。
しかも運が悪い事に、その日は皆が夕方に用事があって、誰もミカエルの散歩に行けなかったのだ。
その為、夕食の後に鞠絵ちゃんが散歩に連れて行こうとしたけど、流石に夜も遅くなっている。
最近は何かと物騒だから1人じゃ危ない。しかも、鞠絵ちゃんは普通の人より身体が弱い。
そこで、ボディーガードとしてアタシが誘われたのだが、運悪くアタシ達は事故に遭遇。そして――。

「ぐすっ……それで…ひっく……鈴凛ちゃんは、わたくしを庇って………」

まだ涙を流している鞠絵ちゃんが、泣きながらその時の事を話してくれた。
アタシは猛スピードで突っ込んでくる車から、無意識の内に鞠絵ちゃんを庇った。
勿論、鞠絵ちゃんを助ける代わりにアタシが車に轢かれたら意味がない。
自分でもどういう風に身体を動かしたのかはわからないけど、何とか車の直撃からは逃れた。
ただ、その時に転倒して頭を強打。大至急で病院に運ばれ今に至る、という訳だ。

「……そっか、そんな事があったんだ」

話を聞き終えたアタシから漏れたのは、そんな他人事みないな呟きだった。
というのも、その時の記憶が全くないアタシには、本当に他人事のようにしか思えない。
別に車に撥ねられて身体のどこかを傷つけた訳でも、3年間昏睡状態になった訳でもない。
頭を強打しても血は出ていなかったらしく、外傷は精々後頭部のタンコブ位しかない。
そのタンコブも、話の後に自分で触ってみてはじめて気づいた位だった。
だからアタシには本当に他人事にしか思えなかった。

「そんなに泣かなくてもいいよ、鞠絵ちゃん。
 アタシは別に怪我とかした訳じゃないから。寧ろ、鞠絵ちゃんを護れてよかった。
 鞠絵ちゃんはアタシの大切な妹なんだから、護る事が出来て本当によかった」

「ぐすっ……鈴凛ちゃん」

アタシは12人の姉妹の中でも年長組になる。
長女である咲耶ちゃんがそうであるように、アタシは妹達の事が大切。
寂しい気持ちや哀しい気持ちになって欲しくない。いつも笑顔を見せて欲しい。
だからアタシは自分の特技を活かして、色々な発明品を作って皆を楽しませている。
アタシが作った発明品で、皆に笑顔を与えたかった。アタシの師匠であるジジのように。

「でもごめんね。
 そんな大切な鞠絵ちゃんをこんなに心配させて。お姉ちゃん、失格だね。あはは」

だけど今のアタシは皆を――鞠絵ちゃんをこんなに悲しませてしまっている。
皆に笑顔を与える立場にあるアタシが。幾ら鞠絵ちゃんを護る為とはいえ、これだと本当に姉失格だ。

「ホント……ですよ。お姉ちゃん、失格です。
 だからもう、わたくしを悲しませないで下さい。心配させないで下さい。
 鈴凛ちゃんは、わたくしの大切な姉上様なんだから………」

アタシの胸の中で、鞠絵ちゃんはそう言った。
まだ涙声だったけど、それはもう悲しみや罪悪感による涙じゃないはず。
抱きしめているから鞠絵ちゃんの今の表情はわからないけど、その表情は笑顔。
直接見た訳じゃないけど、アタシにはわかる。だってアタシは鞠絵ちゃんのお姉ちゃんなんだから。
アタシは、鞠絵ちゃんの小さく細い身体をギュッと抱きしめた。壊れてしまわないように優しく。
しばらくの間、アタシと鞠絵ちゃんはお互いの温もりを感じあった。



「ちょっと鈴凛ちゃん? 私の鞠絵になんて事をッ」

「咲耶くん…………ここは病院で、彼女は一応怪我人だという事を忘れないように…………」

「ラヴラヴな鈴凛チャマと鞠絵チャマをチェキデス!」

「か、花穂。子供だから、そのあの……」

「ぼぼぼぼぼぼボクは、何も見てない何も聞いてないからッ」

「いや〜〜ん♪ 鈴凛ちゃんったら、ダ・イ・タ・ンですの♪

「あぁ、いけませんわ鈴凛ちゃん。おふたりは、おふたりは……ポポポッ♪」

「ふぇ〜〜ん。ヒナ、何も見えないよぉ。可憐ちゃん」

「くすん……亞里亞も、何も見えないです」

「ふ、ふふたりはまだ見たらダメーーッ」



…………他の皆がいる事を忘れて。
その後、アタシと鞠絵ちゃんは面会時間の終わりまで、皆の話題にされた。










†     †     †












――カラダが熱い。
足の指先から頭部まで、更には髪の毛一本に至るまで熱を帯びている。
まるで自分のカラダが炎の中にいるような、そんな錯覚が起こる程熱かった。
勿論、自分の周囲に炎なんてない。あるのは薄汚れたコンクリートの壁。おそらくどこかのビル。
足元には空き缶などのゴミが散乱していて、全く掃除がされた形跡がない。否。する必要がないのだ。
ここは普段人が通らない場所。ビルとビルの間にある、月の光が届かない薄暗く薄汚れた場所。

そう。ここは路地裏。
自分は路地裏を歩いている。
何故、病院で寝ているはずの自分がこんな場所にいるのかわからなかった。
わからなかったけど、今の自分が求めているものがあるのだという事だけはわかっていた。
今の自分が求めるもの。何よりも欲しているもの。それは『潤い』。
自分は渇ききっている。このままでは干からびてしまう。だから『潤い』が欲しいのだ。

『はぁっ……はぁっ……』

一歩、一歩と薄暗い路地裏の中を進む。
足を動かすだけで熱は上がり、渇きがより酷くなっていく。
早く『潤い』が欲しい。だけどただの■を口にするだけではダメだ。それだけでは潤えない。
自分が求めているのはただの■ではない。特別な、極上の■だ。

『……くっ』

フラっと、両の足から力が抜けた。
冷たいコンクリートの上に、自分は座り込んだ。
もう限界が近づいているのは明白だった。このまま動き続けるのは不可能に近い。


「大丈夫かい?」

声をかけられた。
顔は目が霞んで殆ど見えない。声からして男のようだ。


「キミみたいな女の子がどうしてこんな時間に?
 いや。それより顔色がよくないな。歩けるかい? 近くに私の店があるんだ。そこで休むといい」

その言動から察するに、どうやらホストか何かのようだ。
正直、落胆した。夜の仕事をしている人間の■の味は最低最悪。はっきり言って不味い。
だけど仕方ない。今は我侭を言っている場合ではないのだ。


「さぁ、肩に掴まって」

男が手を差し伸べる。
自分はその差し出された手を掴むと――――――自分は、その手を力一杯引っ張った。
突然の事に男はバランスを崩す。自分の方に倒れ込んだ男を支え、逃げないように抱き締めた。
困惑する男。無理もないだろう、いきなり抱き締められて驚かない人間はいない。
だが、そんな事はどうでもいい。今の自分は早く『潤い』が――■が欲しいのだ。


――ドクン、ドクン、ドクン


鼓動が高鳴る。カラダの奥底から本能的にソレを求める。
もう我慢が出来ない。その溢れんばかりの欲望に身を委ね、アタシは―――――男の首筋に牙を立てた。


「ーーーーーーーーーーーッ!!?」

男の声にならない悲鳴が夜の街に響き渡る。
この現状から逃れようと男は暴れる。だが、アタシは決して放さなかった。
本能のままこの渇きを潤す為、男の紅く熱い命の水――血を飲み干していく。











†     †     †












「ハァッ、ハァッ、ハァッ」

ガバッと布団を跳ね除け起き上がる。
身体はカタカタと振るえ、全身から汗が滝のように流れて気持ち悪い。
呼吸も乱れていて肩で息をしている。視界もぼんやりとぼやけてしまっている。

「…はぁ……はぁ…っん……夢……?」

少しずつ鮮明になっていく視野。
真っ白な壁に囲まれた一室。あの薄汚れた路地裏とは対極的な、清潔感のある病院の一室。
そう。アタシは事故に遭い、奇跡的も怪我はなかったけど検査の為に入院しているのだ。
広がっていく視野と共に思考の方も働き出し、少しずつ現状を把握していく。

「はぁ……」

深く溜息をついて、呼吸を整える。
身体の方は、まるでフルマラソンをした後のような疲労感と汗の所為で気持ち悪かった。
だけど頭の方はしっかりと覚醒している。だからアタシはすぐに答えを導き出した。

「あれは……夢、なんだ」

そう夢。アタシが見てしまった夢なんだ。
普通に考えれば、ただの人があんな映画に出てくる吸血鬼みたいに血を吸ったりする訳がない。
そもそもアタシの歯に牙なんてない。近くにあった鏡で確認したけど、その答えは変わらない。
第一吸血鬼は日の光がダメって聞くけど、この十数年間、太陽の下を歩いてきたけど何事もなかった。
だからアタシは吸血鬼なんかじゃない。男の人を襲って、その血を吸うなんてしていない。
仮に吸血鬼じゃない存在だとしても、アタシは病院を抜け出して夜の街を出歩いた事になる。
だけど自分の身体や着ている服を見ても、そんな形跡はなかった。それにだ。

「ねぇ。看護婦さん。
 昨日の夜。アタシって病院抜け出してないですよね?」

「え? 何言っているの?
 そんなの当たり前よ。昨日は私が巡回していたけど、鈴凛ちゃんはキチンとここで休んでいたわ」

検診に来た看護婦さんに訊いても、アタシは昨日の夜に病院を抜け出してはいないと答えてくれた。
幾らなんでも巡回していた看護婦さんに見つからず、外へ出るのは難しいと思う。
だからアタシは、昨日の夜に病院を抜け出していない事になる。

「そっか。じゃあ、昨日の夜に急患で運ばれた人はいました?」

「いいえ。特になかったけど……それがどうかしたの?」

「いえ。ならいいんです」

看護婦さんのその答えにほっとする。
この妹姫にある病院は新街にあるこの病院位しかない。
もし、昨日の夜の出来事が本当なら、あの男の人はこの病院に運び込まれるはず。
だけど急患で運ばれて来た人はいない。それが看護婦さんの答え。
それは同時に、昨日の夜は何事もなかったという事になり、全てアタシの夢だという答えが出てくる。
だからアタシはほっとした。あんな出来事が、夢でよかったと。





ただ――――





「すみません。お水貰えますか? 何だか喉か湧いちゃって」

喉が凄く渇き、口の中には僅かに血の味が残っていた。









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