人は誰もが何らかの仮面を被っている。
本当の自分を隠す為に、人には見せられない自分の『闇』を隠す為に。
この世界にいる多くの人々が仮面を被っている。例外なんて殆どない。
純粋で無邪気な子供達でさえ、親に少しでもよく見せたくて自分を装っている。
それが大人なら、最早言う必要がないだろう。大人は常に見栄を気にして生きている。
少しでも多くの人に自分を認められたい。少しでも多くの利益を得たい。他に様々な理由で。
人の世は、常に仮面を被った人同士による、ある意味騙し合いで成立しているのだ。
そう考えると、人は酷く醜い生き物のように思えてしまう。だけどそれは仕方ないのだ。
人は誰もが『闇』を持っている。その『闇』を曝け出して生きていける程、人のココロは強くない。
弱いのだ、人という生き物は。だからそうして仮面を被り続けるしかなかったのだ。





――そう。
わたくしも、自分のココロの『闇』を隠す為に仮面を被っている。





「……ぅんっ」

目を覚ますと同時に、軽い頭痛に襲われた。
頭が割れそうな程ではないけど、ズキズキと頭の中に響くような痛み。
寝起きの身体には辛い。だけど病気になってからは、こんな風に頭痛に襲われるのは日常。
むしろ何の症状もなく一日が終わる方が少ないくらいで、日によってはもっと酷い時がある。
頭痛や吐き気、高熱。様々な症状に苦しむ。それに比べれば、今日はまだ軽い方と言える。
だけど症状は突然襲ってくる。今は大丈夫でも、時間が経ってから体調が悪くなるかもしれない。
わたくしの身体は、いつ発作が起こるかわからない、常に油断できない状態にある。
病院内にいれば、最悪強い発作が起きてもすぐに対応できる。でも、逆に病院の外だとそれは厳しい。
病院を出るという事は『死』へと繋がる。だからわたくしは、この病院から出る事が許されない。
自分の命を護る為、自由を失ってしまった。

「……だけど、それは仕方ありませんね」

ポツリと、朝日が差し込む病室に、そんな呟きが溶け込んだ。
わたくしは、頭痛がする頭を軽く手で押さえながらベッドから下りた。
ただ、まだ完全に覚醒していないのかそれとも頭痛の所為か、少し身体が重く感じる。
それでも『仕方ない』と割り切って、重たい身体を引きずるように着替えを済ませた。

わたくしは病気を患っている。
それは命に関わるような、とても重たい病気。
だけど、それは決して治らない不治の病ではない。時間はかかるけど、治す事ができる。
その為に不自由な生活は余儀なくされるけど、自由を求め無茶をして命を落とすよりはいい。
誰だって死ぬのは怖い。『死』はどんな事をしても絶対に克服できない、全生物最大の恐怖。
勿論、それはわたくしだって同じ。わたくしは『死』が怖い。わたくしはまだ死にたくない。
わたくしにはユメがある。今のわたくしにとっては何よりも望み願うただ1つのユメ。


『姉上様と一緒に暮らしたい。
 病気だからという理由で支えられるのではなく一緒に肩を並べて歩きたい』


そのユメを叶えるまで、わたくしは死にたくない。
だから、例え今この時が苦痛に思えても、我慢して耐えなければならない。
この入院生活がどんなに苦しくても、ユメを叶える為には『仕方ない』。そう割り切るしかないのだ。


コンコン


ノックの音が病室の中に響く。
時間を見ると、看護婦さんが患者を起こしに来る時間になっていた。
わたくしは「どうぞ」と、扉の向こうで待っている看護婦さんに返事を返した。

「おはよう、鞠絵ちゃん」

「おはようございます、百合子さん」

古い木製扉を開けながら、看護婦さんは病室に入ってきた。
その看護婦さんは、現在わたくしの担当をしている倉田百合子さんだった。

「あ、もう着替え終わってるんだ。
 いつもそうだけど、鞠絵ちゃんってホント早起きよね。眠くないの?」

わたくしに体温計を渡しながら、百合子さんが訊ねる。
毎朝の日課である検診。もう3年も繰り返しているから慣れてしまった
違いがあるとすれば、その間に担当の看護婦さんが変わって百合子さんになった事くらい。
その他の事は殆ど変わっていない。それは、この病院にいる限り変わる事がない。

「勿論、眠いですよ。
 だけど決められた起床時間は、キチンと護らないといけませんから。
 それに、百合子さん達の方がわたくしよりも早起きじゃないですか」

「まぁ。それが仕事だし……仕方なく、ね。
 でも本音言うと、早起きなんてしたくない。温かくて柔らかいお布団が凄く恋しいの」

まだ眠たいのか、百合子さんは小さな欠伸をした。
仕事中に欠伸というのはあまりいいイメージではないけど、今は仕方ない。
百合子さんは夜勤明けで、まだ休んでいないのだ。眠くなるのは当たり前だ。
看護婦という仕事の最大の欠点。それが、その日その日で勤務時間が変わる不規則な生活。
入院している人の看病で心労が溜まっても、夜勤が明けるまで休めず疲労が溜まる。
精神的にも肉体的にも辛い仕事だ。だから今みたいに疲れが現れるのは仕方ない事。

「大丈夫ですか?」

ピピッ、という電子音が鳴り体温測定が終わる。
わたくしは脇に挟んだ体温計を百合子さんに渡しながら訊ねた。

「『大丈夫』っていうより『小丈夫』ってところかな?
 この仕事は大好きなんだけど、夜勤ってホント辛いのよ。
 だから早く交代して、ゆっくり寝たいわね。勿論、それまで仕事は頑張るけどね」

看護婦というのは、とても大変な仕事。
勿論、看護婦だけが大変な訳ではないけど、大変な事には変わりない。
だけど、百合子さんは弱音を吐かない。いつも明るい笑顔をわたくしに見せている。
『元気と明るさが取柄』と百合子さんは言っていたけど、それが彼女の魅力。
まだ看護婦としての経験は浅いけど、その魅力のおかげで他の看護婦さんや先生の評判はいい。
特に入院している小さな子供達は、百合子さんの事を『優しいお姉さん』と慕っている。
それはわたくしも同じで、百合子さんの事を慕っているし信頼もしている。

「それより、大丈夫なのは鞠絵ちゃんの方。
 熱が少し高いけど、他に吐き気とか頭痛とかある? あるのなら、お姉さんに報告」

心配そうにしながらも、相手を安心させるように微笑む。
まるで姉上様の優しさと同じ。だからわたくしは、百合子さんの事を慕い信頼しているのだろう。

百合子さんには、わたくしと同い年の妹がいる。
ただ、この病院が実家のある妹姫市から離れている所為で普段は会う事ができないらしいけど。
だから、その妹さんと同い年であるわたくしの事が気になり、心配になるのだと前に話してくれた。
「まるで妹の身代わりみたいでごめんなさい」と、百合子さんはわたくしに謝っていた。
だけど、それはわたくしも同じ。わたくしも百合子さんに『姉上様』を重ねる時がある。
お互いに相手を自分の親しい人と重ねる。わたくしと百合子さんはお相子なのだ。
それに、わたくしの事を、心配してくれている事には変わりない。
わたくしはその心遣いが嬉しかった。嬉しかったからこそ、わたくしはココロが痛かった。

「……えぇ。少し頭痛がしましたけど、大丈夫です。
 今は痛みも治まっていますし、それ以外はいつもより調子がいいです」

「そう? でも、辛かったら即報告。いい?」

「……はい。わかりました」

――嘘。わたくしは嘘をついた。
『わかりました』。百合子さんの言葉に対して、わたくしはそう答えた。
だけど実際はその言葉が嘘。わたくしは百合子さんに、体調の自己申告をしていない。
勿論、全てを隠している訳ではない。今朝の頭痛の事はキチンと話したし、他の事だって。
ただ1つだけ、百合子さんに隠している事がある。それは百合子さんだけではなく、姉上様にもだ。
わたくしは姉上様をはじめとする、自分を心配してくれている多くの人に隠し事をしている。
それは長い入院生活の中で少しずつ溜まっていき、今にも溢れ出しそうな不の感情。
誰にも知られたくない、わたくしのココロの『闇』。わたくしの醜さが具現化したもの。
あまりの醜さに、自己嫌悪に陥ってしまう事だって多い。その時、ココロとカラダを痛みが襲う。
わたくしが隠しているのはその痛みと『闇』。誰にも――特に姉上様に知られたくなかった。
だから、わたくしは『笑顔』という名の『仮面』を被って、それらを隠しているのだ。

「それじゃ、朝食持ってくるわね。
 食事の後は、いつも通り霧島先生の診察があるから」

「はい。わかりました」

いつも通りの会話。いつも通りのはじまり方。
また、仮面を被ったわたくしの一日がはじまる。『騙し合い』という名の一日が。





朝食の後、百合子さんが言った通り診察が行われた。
この診察もいつも通りの事。わたくしの日課の1つになっている。

空は晴天。温かな陽の光を降らせている太陽がある。
ポカポカとした陽気と、時折吹く涼しげな風が気持ちよさそうだ。
今は診察の為に服を脱いでいるから、カーテンは締め切って外の景色は見れない。
流石に幾ら周りは森しかないとはいえ、カーテンを閉めないで胸元をはだけるのには抵抗がある。

「うむ。微熱と頭痛以外は特に問題ないな」

カルテを睨んでいた葵先生が口を開く。
彼女が、わたくしを苦しめている病気の治療法を研究している霧島葵先生。
入院したばかりの頃は、その男の人みたいな口調と性格で怖い印象があった。
だけどそれはわたくしの偏見で、実際はぶっきら棒だけど優しく相手を思い遣る人だ。
ただ、葵先生を本気で怒らせてしまうと、肉体的にも精神的にも怖い目に遭ってしまうから要注意。

「今のところ悪化する事はないだろう。
 何なら外に出てもいいぞ。勿論、無茶さえしなければだが」

「ホントですか?」

葵先生の言葉にホっとする。
今日はいつもより体調がいい。それは自分でもわかる。
ただ、それはカラダの方であって、ココロの方はまだ痛い。
ココロ――精神的なこの痛みは、そう簡単に治まるものではない。
だから少しでもリラックスできる場所で、ゆっくりと治まっていくのを待ちたかった。
その為には病室で大人しくしているよりも、外に出て自然に囲まれている方がいい。
わたくしの大好きな自然の中で、ココロもカラダも休めたかった。
だけど、今のわたくしは重い病気を患っている。それは命に関わる程の重たい病気。
その所為で自由に外出する事はできない。病院の外に出るのにも葵先生の許可がいる状態。
少しでも体調が悪ければ、許可なんて下りる訳がない。だから、いつも診察の時は不安を抱えていた。

「嘘は言わんよ。
 ただし、病院の近く……まぁ。中庭が妥当だな」

「いいえ。それで充分です」

その言葉にわたしは笑みを浮かべる。
わたくしが抱えていた不安は取り除けた。これで少しは気分転換ができる。
葵先生は中庭が妥当と言っていたけど、今の気分的には遠出するよりそっちの方がいい。
中庭には、大きな木の根元にベンチある。それは少し古く年代物の木製ベンチ。
そこで読書をすると、木漏れ日が射して気持ちいい。わたくしのお気に入りの場所の1つ。
病院の近く、という条件の中で一番リラックスできる場所はそこしかない。
午後の予定は決まった。後は、このココロの痛みがどこまで治まるかだ。
今のわたくしにとって、それが最優先事項だ。

「あぁ。そうだ。忘れるところだった」

「……え?」

午後の予定を考えながら洋服に袖を通していると、葵先生が何かを思い出した様子。
その『忘れてた事』はわたくしに関係するのか、カルテから視線を移してじっとこちらを見た。
そして、いつものぶっきら棒な口調ではなく、心配そうに言葉を口にした。

「何を悩んでいるのか知らんが、もう少し気楽に考えろ。
 ただでさえキミは物事を悪い方向へ考え、更には自己嫌悪に陥りやすいのだからな」





隠していたつもりだった。
余計な心配をさせたくないから、悩んでいる事を知られれば心配するから。
いつもお世話になっている人達に、これ以上余計な迷惑をかけたくなかったから。
そして何より、わたくしが悩んでいる事――わたくしのココロの『闇』を知られたくなかった。
だからわたくしは隠していた。知られないように『笑顔』という名の仮面を被り続け。
百合子さんや葵先生、そして姉上様の前では、どんなに苦しくてもずっと笑顔を見せ続けていた。
そうやって仮面を被り続ければ、誰もわたくしのココロの『闇』に気づかない。
周りの人が持つ『鞠絵』のイメージのままでいられる。そう思っていた。だけど――

「……葵先生は、気づいている」

ベッドに深く腰掛け、ポツリと言葉を漏らす。
葵先生の診察の後、わたくしは予定通り中庭に来た。
ただ、予定にあった読書はしていない。読書をする気になれなかった。
その原因は、葵先生が口にした言葉。葵先生は、わたくしが悩みを抱えている事に気づいていた。

「でも、まだ『何』を悩んでいるのかは気づいていないはず。
 もし気づいているのなら、きっとわたくしの事を軽蔑する。……こんなに醜いわたくしの事を」

発せられた言葉は、温かな春風に吹かれ消えていった。
わたくしは空を見上げた。そこに映るのは青空ではなく、大きな木の枝や葉。
中庭にあるこのベンチは木の根元にある。差し込む木漏れ日が気持ちいい、お気に入りの場所。
だけど、今のわたくしには、そのお気に入りのはずの木漏れ日ですら憂鬱な気持ちにさせる。
リラックスできない。気分転換ができない。考えてしまうのは葵先生の言葉。

葵先生は、わたくしが何か悩んでいる事に気づいていた。
気づいていたから、診察の時にわたくしの事を心配していた。
だけど葵先生は気づいただけ。まだ『何』を悩んでいるのかには気づいていなかった。
それは不幸中の幸いというべきか。否。寧ろ最悪な方向へ向かう可能性が出てきた。

わたくしは、自分が被っている仮面は完璧だと思っていた。
最初こそはまだ違和感があっただろうけど、今ではその違和感がなくなっている。
あんな皆の――姉上様の想いを踏み躙るような、醜いココロの『闇』を隠せている。
周りの人や姉上様が思い描いている『鞠絵』を演じきれている。そう思っていた。
だけど、その『闇』の一端である『悩み』を気づかれた。わたくしの仮面が不完全という事。
まだ付き合いが3年程しかない葵先生でも気づいたのだ。一番付き合いが長い姉上様なら……。
最悪、もうずっと前から気づいている可能性がある。ただ、それを口にしないだけなのかもしれない。
だけど幾ら姉上様でも、葵先生同様にわたくしが『何』を悩んでいるのかには気づいていないはず。
何故ならそれは、わたくしのココロの奥底にある醜い『闇』。姉上様達の想いを踏み躙っているのだ。
それなのに、あんなに優しく微笑んでくれない。きっとわたくしの事を軽蔑する。

「……嫌。それだけは……絶対に嫌ッ」

ギュッと、わたくしは自分の身体を抱きしめた。
ここにはいない姉上様が、いつもしてくれるように。

多くの人が、病気のわたくしの事を支えてくれる。
直接治療に当たる葵先生や看護婦である百合子さん、同じ病院にいる多くの人。
そして何より、わたくしの事を支えてくれているのは姉上様である咲耶。
姉上様は、小さい頃からわたくしの事を大切に想い可愛がってくれている。
それは入院している今でも変わらない。否。寧ろ病気になった今の方がより強く想ってくれている。
お金や時間がかかるのにも関わらず、毎週必ずお見舞いに来て一緒に過ごしてくれる。
そのおかげで、わたくしが入院生活で感じていた寂しさや辛さは軽減された。
姉上様はわたくしの支え。姉上様はとても優しい人。わたくしは、その優しさが嬉しい。





だけど――





「……わたくしは、その優しさを――姉上様の想いを踏み躙っている」

わたくしは幸せ者だ。姉上様や多くの人が優しく想ってくれている。
だけどその優しさや想い、幸せに満足できない自分がココロの奥底にいる。



どうして他の人は元気に暮らせているのに。
わたくしだけがこんな自由のない生活を送らないといけない。
姉上様や両親と一緒に暮らしたいのに、どうしてそれを許してもらえない。



頭では『仕方ない』と理解しているのに。
わたくしのココロの奥底からは、そんな強い想いが溢れ出てくる。
その想いはわたくしのココロの『闇』であり、姉上様達を裏切る醜い想い。
わたくしが病気を患った所為で、姉上様達には多大な迷惑をかけている。
治療にかかる費用や入院費。お見舞いにかかる時間やお金、労力など多くの事で。
それでも姉上様達は不満を口にせず、逆にいつもわたくしを励ましてくれる。
だけど、そうやって励まされているわたくしは、この生活に不満を抱いている。
別に治療や検査が嫌という訳でも、葵先生や百合子さん達の事が嫌いという訳ではない。
ただ、わたくしの大好きな姉上様と一緒に過ごせる時間が少ない。
家族なのに、姉妹なのに、わたくしは姉上様と殆ど一緒にいる事ができない生活。それが不満なのだ。
だけどこの生活に不満を抱くという事は、イコールこの生活で支えてくれる人達を裏切っている。
わたくしは、その事がとても醜く恥ずかしい。誰にも――特に姉上様に知られたくなかった。
だから、その『闇』を隠してきたのだ。『笑顔』という名の仮面を被って。

「………姉上様。
 わたくしは――貴女の妹の『鞠絵』は、こんなに醜いです。
 もし、姉上様がその事を知っても………貴女は、こんなわたくしをアイしてくれますか?」

気づけば、わたくしの頬を涙が伝っていた。









戻る 次へ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送