ピンク色の桜の花びらが、春風に吹かれて舞う。
一度風が吹けば舞い上がり、またひらひらと舞い降りる。
それは過ぎ去った冬の贈り物――粉雪を思わせる。ただ、粉雪と違って解けたりしない。
粉雪のように舞い、裸の地面に綺麗な絨毯を敷くけど、ただ1つだけ粉雪と違う。
だからそっと手を伸ばせば、開いている窓から入り込んだ一枚の花びらが手の中に舞い降りる。
小さな小さな桜の花びら。だけどこの花びら一枚だけでも充分、春を感じさせてくれる。
勿論、温かな陽気や時折吹いては白いレースのカーテンを揺らす春風も春の訪れを知らせてくれる。
だけどやはり多くの人は、ピンク色に咲き乱れる桜の花に春の訪れを感じるだろう。
春の訪れと共に咲き乱れる――とある島は一年中咲いているらしい――桜の花に。

「………桜の花。
 綺麗なのに、見ているのがとても辛い」

だから、わたくしは桜の花を見るのが辛かった。

――春。
それは様々なはじまりや出会いの季節。
冬の終わりと共に卒業式を迎えた学生は、自分が決めた新たに学ぶべき場所へ。
残された在校生は、また1つ上の段階へと進級し自分の能力を高めていく。
社会へ出る事を決意した人は、これから先長い間お世話になる職場へと移っていく。
そうした自分にとっての『はじまり』。それと共に新たな出会いが待っている。
新しいクラスメイト。先輩後輩。自分にとって大切な存在になるかもしれない人。多くの人達。
その人達との出会いを、自分の『はじまり』と共に経験する季節。それが春。





だけど、わたくしにはそれがない。
もう何年も入院しているわたくしには、春と共に訪れる新しい『はじまり』も出会いも――――――ない。





わたくしは現在入院している。
入院のきっかけである病気が発病したのが3年前、わたくしが10歳だった頃。
発病する前のわたくしは、どこか落ち着きのない――家族に言わせればわんぱくな――女の子だった。
学校へ行くのも仲のいいお友達に会う為、勉強は嫌いではなかったけど好きでもなかった。
授業の後の休み時間はクラスメイトや幼馴染の娘――相沢美穂――とお話をしたり、一緒に遊んで過ごした。
当然、学校が終わった後も同じ。家に帰ると私服に着替えて、友達や2つ年上の姉上様と遊びに出かけた。

わたくしの住む妹姫市は、明治時代の文明開化の折に造られたとても古い街。
街の中心に大きな時計台広場があり、そこを境に西と東に新街と旧街に分かれている。
新街は比較的新しく造られた街で、住宅地やオフィス街、港がある。
一方旧街の方は古いヨーロッパ風の町並みで、物語に出てきそうな少しメルヘンチックな造り。
子供の頃はそんな造りの旧街が、まるで絵本の世界のように思えてワクワクしながら歩いた。
そうして探検していく内に夕日が沈み、5時を知らせる時計台の鐘の音と共に家へ帰る。
そんな生活をわたくしの大切な人達と一緒に過ごしていた。そして、それが崩壊した。



それは3年前のある日。3学期の終わりも近づいた日の事。
その日は今朝から熱っぽく、軽い頭痛やダルさが身体を襲っていた。
実は数日前からそういった症状が出ていたのだけど、ただの風邪だと思っていた。
実際、わたくしは季節の変わり目によく風邪を引いていたし、症状も風邪と何ら変わっていなかった。
だから、いつもの事。わたくしも家族もそう思い、その日も市販の薬を飲んで学校へ行った。


『大丈夫、鞠絵?』


無理して学校へ行ったわたくしに、姉上様は登校中に何度も尋ねてきた。
その度に、わたくしは自分にも言い聞かせるように『大丈夫です』と言って元気に振舞ってみせた。
だけどその日は『大丈夫』という言葉が余り効果がない。そんな感じがしていた。
いつもと何か違う。この季節によくかかる風邪とは何かが違う。もっと症状が重い。そう感じていた。
そして、わたくしがその時に感じていた不安は当たっていた。

3時間目の算数の授業が終わった後だった。
わたくしは不安を感じながらも、その日の授業を受けていた。
ただ、時間が経つにつれ頭痛やダルさが悪化して、正直、学校を休めばよかったと思いだしていた。
実際、1時間目の国語も2時間目の社会も、今終わった算数の授業の内容も殆ど頭に入っていなかった。
頭痛やダルさだけではなく、熱も上がってきたのか、頭がぼーっとして何も集中できないでいた。
仲のいいクラスメイトや幼馴染の美穂ちゃん、先生にまで保健室へ行った方がいい、とまで言われていた。
皆の言い分は正しい。わたくしは判っていた。だから3時間目が終わって保健室へ行こうと思っていた。
チャイムが鳴り授業が終わると、殆ど何も書かなかったノートや教科書をしまい、わたくしは席を立った。
その瞬間だった。


――ドクン


頭の中が真っ白になり、身体中から力が抜けたのは。
それまで見えていたはずの教室やクラスメイトの姿が消え、何も見えなくなった。
自分が今立っているのか横になっているのかも判らない状態。思考も何も働かない。
ただ、付き添いを申し出た美穂ちゃんやクラスメイトの悲鳴だけは聞こえ、わたくしの意識は途切れた。


次に目を覚ますと、そこは病院だった。
病院独特の消毒液の匂いが鼻先を擽り、自分の感覚が正常に戻った事が判った。
よく見ると、姉上様と両親がじっとわたくしの方を心配そうに見つめていた。
特に姉上様は、わたくしが目を覚ましたと判ると、ボロボロと涙を零して泣き出してしまった。
両親の話では、姉上様はわたくしが倒れたと知るとすぐに病院に駆けつけ、寝ずに看病してくれたそうだ。
更に、わたくしが倒れたのも『鞠絵の体調が判らなかった私の所為』と言って取り乱したらしい。
姉上様は酷く心配していた。だから、姉上様はわたくしが目を覚ました事が嬉しくて涙を流したのだ。
だけど学校で倒れたのはわたくし自身の所為であり、姉上様は何も悪くなかった。
それどころか、わたくしは心配してくれた姉上様の言葉を聞かなかった。
そして無理をした挙句、倒れて姉上様や両親、友達やクラスの皆に迷惑をかけてしまった。だから――


『ぐすっ……心配、したんだから……』


姉上様のその言葉が、酷くココロを痛めた。


その後、わたくしの担当の先生から病状と今後の事について話を聞かされた。
病状はこのまま放っておけば確実に身体を貪り、最悪、命を落とす恐れがある。
更にこの病気の治療法はまだ研究中であり、症状を抑えれても治す事は難しい。
だから、このまま専門医のいる病院へ入院し、長い時間をかけて治療を行うべき。
大まかな内容はそういったもので、結局、何のココロの準備も出来ないまま入院する事になった。
大好きな姉上様や両親と離れて暮らし、幼馴染の美穂ちゃんや友達とも滅多に会えずに。
住み慣れた妹姫市から離れ、四方を自然に囲まれた病院に。

「あれから、もう3年も経つのですね」

わたくしが倒れ、この病院に入院してから約3年。
小学生だったわたくしはもう13歳。この春から中学生になる。
ただ、あの時の友達やクラスメイトと一緒に入学式には出られない。
今のわたくしの身体では、普通の生活を送る事は難しい――否、出来ないに等しい。
いつ発作が起こり倒れるか判らない。だから、すぐに処置が施せるように入院している。
当然、学校も病院内にある院内学級。姉上様や友達と同じ学校に通いたくても、それは出来ない。
わたくしは病気を患っているのだから、それは仕方ない事なのだ。

『仕方ない』
そう思いだしたのはいつの頃からだろう。
最初の頃は、環境の変化や知らない人ばかりの入院生活に慣れず、不安な毎日だった。
夜になると不安や寂しさ、それに発作の苦しさに襲われ、眠れず一晩中泣いた事もあった。
今では発作に苦しめされる事はあるけど、この長い入院生活にはもう慣れてしまった。
勿論、姉上様や家族、友達とは気軽に会えず、あまり自由に出歩けない事に不満はある。
だけどそういった不満も、いつの間にか『仕方ない』という思いで押し殺していた。
何より、わたくしの心にある不安や悲しみ、不満を取り除いてくれる人がいる。その人が――


コンコン


「鞠絵? 私だけど、入っていい?」

「あ、はい。どうぞ、姉上様」

わたくしの大好きな人である姉上様――咲耶だ。
姉上様はわたくしの言葉に「入るわね」と答えると、ゆっくりと扉を開けた。

「こんにちは、鞠絵」

「こんにちは、姉上様」

ニッコリと姉上様は微笑む。
わたくしもそれに答えるように笑みを作って、姉上様に挨拶をする。

「ありがとうございます、姉上様。
 折角のお休みを、わたくしなんか為に使って頂いて」

学生である姉上様は春休みの真っ只中。
その2週間の半分以上の時間をわたくしのお見舞いの為に使ってくれた。
否。春休みだけではない。夏休みや冬休みといった長期休みも同じだ。
普段だって、学校が休みである日曜日は必ずと言っていい程来てくれる。
姉上様は、学生にとっての楽しみである休日を、わたくしの為に使ってくれている。
街から離れ、ここに来るだけで時間もお金も消費してしまうのにも関わらず。
病気を患い、長い入院生活で多大な迷惑をかけているわたくしなんかの為に。

「いいのよ、気にしなくて。
 私は私がしたい事をしてるだけ。それに鞠絵は私にとって何よりも大切な妹なの。
 その妹が病気で苦しんでいるんだから、お見舞いに来るのは姉として当然じゃない。
 だからそんな風に『わたくしなんか』なんて言わない。判った、鞠絵?」

姉上様はとても優しい人だ。
こんな迷惑ばかりかけているわたくしの事を大切に想ってくれる。
わたくしが寂しかったり悲しくて泣いている時は、泣き止むまで傍にいて慰めてくれる。
共働きで忙しかった両親の代わりに、小さい頃からわたくしの事を見守ってくれていた。
それは入院してからもだ。仕事の都合で両親はあまりお見舞いに来れない。
友達だって、そう何度も来れる訳がない。お金や時間といった都合があるのだ。
親しい人達と離れて暮らすようになり、わたくしはとても寂しかった。
勿論、わたくしと同じ年頃の子供もいるけど、最初の頃は環境の変化に馴染めず『輪』に入れなかった。
その所為で病院内には心を許せるような人がいなかった。わたくしは孤独だった。
だけど、その孤独を姉上様はわたくしの心にある不安や悲しみと一緒に消してくれた。
仕事で忙しい両親の代わりに、休みの日はお見舞いに来て夕日が沈むまで傍にいてくれた。
夜、わたくしが寂しくて電話をした時は、文句1つ言わずわたくしの話し相手になってくれた。
不慣れな院内学級で、まだ友達が出来ていないと知ると、友達を作るきっかけを作ってくれた。
小さい頃と同じように、姉上様はわたくしの弱く傷ついたココロを癒し護ってくれたのだ。
そのおかげで、わたくしは自分の身体を蝕む病気と闘い、長い入院生活を頑張っていられるのだ。


でも、ただ1つ思ってしまう事がある。
わたくしは、この胸に抱く不安や悲しみを姉上様に消して貰った。
だけどその結果、わたくしのココロはある感情を抱いてしまった。人が誰でも持つ『欲』を。
わたくしは姉上様に大切に想って貰っているのに、それに――今の現状に満足出来なくなっていたのだ。


「……はい。すみません、姉上様」

「うん。判れば宜しい♪
 それじゃ、これはご褒美よ」

言って、姉上様は綺麗にラッピングされた包みをわたくしに手渡した。
それを受け取りながら『ご褒美、ですか?』と尋ねると、姉上様はニッコリと笑って言った。

「またの名をバースデープレゼント。
 ハッピーバースデー、鞠絵。13歳の誕生日おめでとう♪」

「え……? お、覚えていて下さったのですか?」

「当たり前じゃない。私が鞠絵の誕生日を忘れると思う?」

その質問に、わたくしは『いいえ』と首を横に振って答えた。
姉上様はわたくしの事を心から想ってくれている。大切な存在だと言ってくれている。
大切な家族――たった1人の掛け替えのない妹として、わたくしの事を愛してくれている。
そんなにわたくしの事を想ってくれている姉上様が、誕生日というイベントを忘れるとは思えない。
わたくしはそれが嬉しい。どんな高価な品をプレゼントされるよりも、姉上様のその想いが嬉しい。
大好きな姉上様に大切に想って貰えるだけで、わたくしは幸せだ。幸せなはずだ。





だけど――





「勿論。お父様やお母様だってそう。
 まだお仕事があるけど、終わったらすぐにでも来るって言っていたわ。
 先生達にも許可を貰っているから、今日はここで鞠絵のバースデーパーティーよ♪」

「まぁ、そんな……パーティーなんて。
 わたくしは、こうしてお祝いして下さるだけでも嬉しいのに………」

「ふふっ♪ そう?
 それならパーティーの時は、もっと嬉しくさせてあげるわね♪」

今この瞬間、わたくしは世界で一番幸せになれたのだと思った。
人は様々な事で幸せを感じる。好きな事をしている時や何か目標が達成された時。
自分の事を評価された時や自分が思い描いていた夢や願いが叶った時など、人それぞれ。
わたくしは姉上様と一緒にいられるだけで、こうしてお話をしているだけで幸せだ。
だから姉上様が、わたくしの為にパーティーを開き誕生日を祝ってくれて幸せなはず。
だけど、わたくしの本当の幸せは―――――――――――――――――――――違う。

「ありがとうございます。
 姉上様達にこんなに想って頂いて………わたくしは、幸せです」

確かにわたくしは嬉しい。幸せを感じている。
だけど嬉しいからこそ、わたくしは思ってしまう。
姉上様の『想い』によって齎された幸せに、満足してしまった為に生まれたユメ。
わたくしだって人なのだから、心の奥底に生まれた『欲』よって更に上のものを夢見てしまう。
それは他の人には当たり前の事だけど、今のわたくしにとっては何よりも望み願うただ1つのユメ。





姉上様と一緒に暮らしたい。
病気だからという理由で支えられるのではなく一緒に肩を並べて歩きたい、と――





そう夢見てしまうのは、わたくしの我侭なのでしょうか………?









戻る 次へ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送