紅い夕日が沈む。
長いようで短かった今日が終わっていく。
窓から射し込む夕日の光が眩しくて、目を細める。
眩しいのならカーテンを閉めればいいのだけど、わたくしはそれをしない。
否。したくない。窓は、唯一わたくしが外との繋がりを持てるものだから。
カーテンを閉めると、眩しい光は射し込まなくなる。だけど同時に外の景色が見えなくなる。
そうなると、わたくしは外との繋がりを失う。この病室という名の牢獄に、閉じ込められる事になる。

わたくしは現在入院している。
ただ、普通の人みたいに数週間、数ヶ月という単位ではない。
『年』だ。わたくしがこの病院に入院した単位は、わたくしが入院してもう数年経つ。
最初の頃は退屈な入院生活に不満はあったけど『仕方ない』という気持ちがあった。
だけど1年、2年、3年と月日が経つにつれ、入院生活が苦痛になってきた。
家族とも殆ど会えない、親しい友人とはどんどん放されていく。殆ど病室から出られない。
正直、体調とは違った意味で病気になりそうだった。

「夕日が……眩しい」

紅い夕日に目を細めながら、外の景色を眺める。
入院して数年。わたくしの病気は一向に治らない。
寧ろ逆に悪化しているのでは、と思う時がある。
最初の頃はミカエルを連れて庭に出れたのに、今ではベッドに寝たきり。
病院内ですら行動が制限され、必ず看護婦さん同行になっている。
高熱が出たり咳き込んだり頭痛に見舞われるのなんて、もう慣れてしまう程だ。
酷い時には耐え切れない程の吐き気や苦しさに襲われる。
特にここ最近はそういった症状がよく起こり、完全にベッドから離れられない。
だから、例え眩しくても、この窓はわたくしと外を繋ぐ唯一の存在だから、離したくない。


コンコン


控え目なノックが、部屋に響く。
看護婦さんが薬を届けに来たのだろうか、それとも検診か。
どちらにしても、今のわたくしにはどうでもいい事だ。
薬の投与も検診も、変わる事のない入院生活のスケジュールとして組まれているのだ。
もう慣れるを通り越して飽き飽きしてしまっている。

「どうぞ。開いていますよ」

ノックをされたのに答えないのは流石にマナー違反だ。
わたくしは、視線を動かす事無くそう答えた。
その答えが聞こえたのか、ゆっくりと扉が開いていく。
少し古い木製の扉がギィと音を立てて開いていき、扉を開けた人物の姿が見えてくる。
どうせ看護婦さんだろうと思っていたけど、部屋に入ってきた人物は看護婦さんでも先生でもなかった。

「こんにちは……かしら? 鞠絵」

その人はわたくしに挨拶をする。
亜麻色のロングヘアーを靡かせて、にこやかな笑顔で。
わたくしも挨拶を返さなければいけないのに、それが出来なかった。
何故なら部屋に入ってきた人物は、わたくしが予想していた人物とは違ったから。

「あ、姉上様……どうして、ここに?」

辛うじて出た言葉は、挨拶ではなく疑問の言葉。
わたくしはその言葉を、わたくしの姉である咲耶に向けて口にした。

「どうしてって、勿論、お見舞いによ」

「でも、確か今日はお仕事では……」

姉上様はわたくしと9歳も離れていて既に成人している。
就職もしていて、名前は忘れたけどどこかの企業でOLをしていると聞いた。
だけど今日は月曜日で、普通に出勤のはず。時刻も午後5時を過ぎたばかりで、今定時を迎えた頃だ。
この病院から姉上様の勤め先まで、電車で1時間以上かかる。
だから今姉上様がここにいるという事は、会社を早引きした事になる。

「えぇ。でも、今日は先輩に言って早引きしたの。
 だって、本当なら昨日お見舞いに来るはずだったのに、仕事でダメになったでしょ?
 先輩は私達の家の事情も知っているから、簡単にOK貰えたわ」

「そんな、わたくしなんかの為に」

「コラ。『わたくしなんか』なんて言わない。
 鞠絵は私のたった1人の、大切な家族なのよ?
 私にとって何よりも掛け替えのない存在なのだから、そんな風に自分を非難しない」

ニッコリと、姉上様は言う。
それはわたくしの事を大切に想ってくれている証拠の言葉。
姉上様からの本音の優しい言葉に、わたしは思わず瞳を潤めてしまう。

本当なら、姉上様がお見舞いに来るのは日曜日である昨日だった。
仕事の都合もあって、姉上様がお見舞いに来てくれるのは日曜日が殆ど。
だけど昨日は急な仕事が入って、姉上様はお見舞いに来られなかった。
それは寂しくて悲しい事だけど、姉上様には姉上様の都合があるのだから仕方ないと、理解していた。
姉上様は、わたくしの入院費を払う為に大学を辞め、仕事をしているのだ。
だから、わたくしはどんなに寂しくても悲しくても我慢している。否。しないといけない。


姉上様は、こんなわたくしを見捨てないでいてくれるのだから。


「はい。すみません、姉上様」

「うん。判れば宜しい♪
 それじゃ、残り時間も少ないけど、お話しましょうか」

わたくし達には親というものがない。
いたのだけど、今は縁を切ってしまっている。
その理由はわたくしの病気。治る見込みがなく、治療費が馬鹿にならない。
幾らあの優しい――優しかった親とはいえ、嫌気がさしてきたのだろう。
4年程前から治療費は払っても、お見舞いに殆ど来なくなってしまった。
わたくしはあの2人にとっては疫病神以外の何者でもないのだから、仕方ない。
寂しいとか悲しいとかいう気持ちはあったけど、どこか諦めもあった。
わたくしはこの病気が治らない。このままこの白い牢獄で独り寂しく死ぬのだと。


だけど、わたくしのたった1人の姉妹である姉上様は違った。


親が見捨てたわたくしの所へ、姉上様は足を運んでくれた。
交通費も時間もかかるのに、それでも必ず1週間に一度、今日と同じ日曜日に。
今日みたいにお見舞いの品――花束や果物、お菓子や本――を持って、
今日あった出来事など、外に出れないわたくしの代わりに外の事を話してくれる。
わたくしはそれが嬉しかった。わたくしはまだ見捨てられていない。必要としてくれる人がまだいる事が。
それだけではない。姉上様はわたくしの治療費を払う為に大学も辞めて仕事をしている。
最初は治療費の足しに、と働いていたみたいだけど、ある日姉上様が来てこう言った。


『鞠絵、よく聞いて。
 今日から私が鞠絵の面倒を全部見るから。
 あんな人達みたいに鞠絵に寂しい思いをさせないから、安心して』


最初は意味が判らなかった。
判らなかったというより、来るなりいきなり抱きしめられた事に驚いていたのかもしれない。
あの時はただただ姉上様にギュッと抱きしめられて、優しい温もりを感じていたのだから。

あの時の姉上様の言葉の意味が判ったのは少ししてから。
姉上様は、お見舞いに行かない親と何度も喧嘩をしていたらしい。
何度も言い争いをしていく内に、姉上様も親に嫌気がさしてきてしまい、親子の縁を切った。
そして、わたくしの治療費なども全て自分で払う為に、親権を自分に移した。
姉上様はわたくしの世話をする為にあの親との縁を切ったのだ。
その事を知った時は驚いたけど、心のどこかでは嬉しいという気持ちもあった。
わたくしはあの親が嫌いだった。姉上様はあの親という名の鎖からわたくしを開放させてくれたのだ。
ただ――

「それでね、先輩ったら彼氏と大喧嘩。
 向こうから誤ってこないと、ぜ〜ったい許さないって言ったの」

「まぁ。あんなに仲がよかったのに」

姉上様は今日も色々な話を聞かせてくれる。
会社の事や友達の事、最近の出来事など色々と、面会時間ギリギリまで。
姉上様は自分の時間を割いてまで、わたくしの為に使ってくれる。
それは嬉しいのだけど、姉上様に迷惑をかけたくないという思いもあった。
わたくしの入院費などは馬鹿にならない。親が嫌気がさす程の額だ。
更に姉上様が生活していくのにだってお金はいる。一介のOLの給料では両立は厳しいはずだ。
その事で一度姉上様と話しをした事があったけど、わたくしの思いを聞いた姉上様は言った。


『いいのよ。私は迷惑だなんて思っていない。
 寧ろ、大切な鞠絵の面倒が見れて嬉しいと思っているの。
 だから貴女は何も気にしないで。そして確りと休んで病気を治すの、いい?』


優しい口調と笑顔で。
わたくしの心を包み込むように。


ボーン、ボーン、ボーン


壁にかかっている時計が鳴る。
時刻は6時を指していて、それは面会時間の終了を意味する。

「あ、もうこんな時間なんだ」

「時間が経つのは早いですね」

「そうね。もう少しいたいけど、ごめんなさいね」

「いいえ、そんな。わたくしの方こそ、今日は来て下さってありがとうございます」

心から、わたくしはお礼を言う。
姉上様はわたくしのただ1人の大切な家族。
病気になり、親に見離されたわたくしの事を大切に思ってくれる。
だけどわたくしは、こうして姉上様から自由を奪って迷惑をかけてしまっている。
だからせめて、心の底から感謝の言葉を口にしないといけない。

「いいのよ、お礼なんて。私が好きでしている事だし。
 それにお礼を言われるよりも、早く一緒に暮らせるようになる方が私は嬉しいわ」

「…………」

姉上様の言葉に、わたくしは言葉が出ない。
親と縁を切ってしまった為、姉上様は家に帰っても1人だ。
1人になる寂しさや悲しさは、わたくしは充分過ぎる程判っている。
だから、こうしてお礼を言うよりも、早く元気になって一緒に暮らす方が何十倍も恩返しになる。
その事は判っている。判っているからこそ、言葉が出ない。だけど――

「それじゃ。また来週来るわね」

「……はい。お気をつけて、姉上様」

バタンという音と共に部屋は静寂に包まれる。
わたくしは、姉上様が出て行った扉をただじっと見つめている。
これで1週間、わたくしは独りぼっちになる。

わたくしには夢がある。
それは将来自分がなりたい職業とかではなく、純粋な願い。

わたくしが入院している事は、姉上様にとって負担以外の何ものでもない。
お金や時間の自由がなくなり、更に親と縁を切ってしまった為、帰る家には誰も待っていない。
だから、お世話になっている姉上様の負担を少しでも減らしたい。
その為にも、1日でも早く退院して一緒に暮らすしかない。それはわたくしも望んでいる事だ。



わたくしの夢。
それは姉上様と一緒に暮らしたい。一緒に肩を並べて歩きたい。
他の人には当たり前の事だけど、わたくしにとっては何よりも望む願い――夢だ。





でも――





「……姉上様、わたくし」

それが、決して叶う事のないただのユメだという事を理解しています。
堪えていた涙が瞳から溢れ出して、わたくしの頬を伝っていく。







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